第Ⅱ部 冬
10.イマちゃんとバイオリン
日曜日は忙しい。朝の10時に日曜学校があるため、二人の妹の手を引いて警察署のすぐ先の教会に行く。
牧師さんの説教が終わり讃美歌を唄っていると、つば付きの帽子がまわって来る。母に持たされた10円玉(妹たちは5円玉)を入れると、隣へまわす。お金は「献金」と呼ばれ、日曜学校の終わる合図だった。
教会を出た妹たちは手をつないで家に帰るが、僕は道を隔てた向かいの塩音寺の境内に入って行く。
お寺ではお坊さんが習字を教えている。習いに来た子供たちはすでに書き始めており、黙々と半紙に向かって格闘している。空いている場所に座り、硯と下敷きと文鎮、そして筆巻きから大筆と小筆を取り出す。
墨を磨っているとお坊さんが見本を持ってきてくれる。何枚か書いていると、背後から書き終わった一枚に朱を入れてくれるのだ。
磨った墨か半紙がなくなってしまうと自分のお稽古は終わりである。みんなだいたい一帖(半紙20枚)くらい練習しそれに合わせた量の墨を磨る。しかしあとから来た僕は少なめに墨を磨り、10枚ぐらい書いたらその一枚に朱を入れてもらって手早く道具を仕舞いそそくさと家に帰る。
午後の予定も詰まっているのだ。
◇
一度家に帰り、午後2時の15分前になると今度はバイオリンを抱えて家を出る。玄関を出て左に曲がり、すぐのT字路を右折すると小さな工場や商店が立ち並ぶ本町通りに出る(通りに面した左側の二軒目が例の和菓子屋さんだ)。
5分ぐらい歩いて左に折れ細い道を少しのぼった所がバイオリンの先生の自宅兼稽古場だ。
中からはギーギーとのこぎりで木を切るような音が聞こえてきた。イマちゃんがバイオリンの稽古をしているのだ。
イマちゃんは今田君といって同級生である。鼻の穴が大きく色黒で活発な彼は、運動が得意で足が速くドッチボールも強い。とにかく何をやるにも全力投球だ。彼の稽古時間は午後1時から2時までで僕のすぐ前の順番である。
待合室に座っていると、イマちゃんののこぎり音と神経質そうな先生の声が聞こえてきた。
「もっと肩の力を抜いて」
「肘を張らないで」
「弓は卵を持つように軽く持つ」
しかしのこぎり音は変わらなかった。
―これじゃあ、キラキラ星じゃなくてギラギラ星だ
2時少し前にイマちゃんが部屋から出てくると汗びっしょりだった。
「じゃぁ」と、僕にか細い声で言うとトボトボと帰って行く。
何回かそんなことが続いた冬の日曜日、稽古場に近づいてものこぎり音は聞こえなかった。
━全力投球ではやったのだ━
それ以来、稽古場でイマちゃんの姿は見ていない。
11.鶴雄君とスズメ
同級生で最初に仲良くなったのは、鶴雄君だ。たまたま苗字が僕と一緒で、彼の家が学校のそばで帰り道だったこともあり、よく遊びに行った。
鶴雄君の家は、三日山の頂上で神の火茶屋というお土産屋をやっており、観光客の落とすお金で潤っていた。
島名産の椿油のほか、椿の実を使ったキーホルダーやイヤリングなどのアクセサリー、御守や登山用の杖が飛ぶように売れる。
店には天井からザルが吊るされており、品物を買ったお金やお釣りなどその日の売り上げが全部その中に入っている。
売り上げは札も玉も毎日ビニール袋にまとめて詰め込んで回収している。
鶴雄君の家には大きな金庫があり、中にはお金が詰まっているという噂だった。
門を入ると50mほど砂利道が続く。左右には四季の草花が咲き乱れ、奥の方にはきれいにならされた芝生も見える。玄関を入ると右の部屋がすぐリビングで、暖かい陽が差し込み冬でもストーブなど要らないぐらいだ。
家の裏では少し畑を作っていたが、その奥は林になっておりずっと先まで続いていた。
奥の林も鶴雄君の所有地だそうだ。
◇
冬のある日、遊びに行くと長靴姿の中学生が空気銃を持って立っていた。鶴雄君のいとこだという。
「スズメ撃ちに行くベェ。ニシらは?」
僕と鶴雄君は、
「ここに居る」と言うと、中学生は
「そんなら、火をおこして待ってるズラ」と言い裏の林に分け入った。
小一時間ぐらいして程よく火がおこったころ、その猟師は肩に銃を担ぎ8匹ほどのスズメを紐で数珠つなぎにして林から出て来た。
戻ると熱湯をかけて手早く羽をむしり一匹ずつ串にさして、火のおこった網の上へ乗せた。まだむしりきれていない羽の焦げ臭いにおいが鼻をつく。
こんがり焼きあがると、まず彼が口にする。
「うまいズラ」
僕たちにも食べてみろ、と串を差し出した。僕はモモのあたりを一口食べ、
「ちょっと苦いがあまり味がしない」と言って串を返した。喉の奥から何か酸っぱいものが上がってくる感じがしたが、一気に飲み込む。
二人と別れて門を出るとすぐ、僕は道端に嘔吐した。
━いつか化けて出てやる━
それからしばらく僕は、鶴雄君の家に遊びには行けなかった。
12.二上君と切干ダイコン
教会の先を少し行くと十字路がありそこを左に曲がった雑木林の先に二上君の家がある。
背がクラスで一番大きく丸顔、いつも野球帽を頭にチョコンと乗せている。無口で恥ずかしがり屋だが、僕とは妙に気が合った。
家は平屋でトタン屋根の粗末な造り。家の中も部屋は二部屋しかなく、奥の部屋では両親が黙々と家内作業を行っている。
島中に生えている椿の実を拾ってきて「クレンザー」で磨くのだ。ひたすら磨いて艶を出し、そのあと千枚通しで椿の花や三日山の絵をひっかいて描く。その後クレヨンで色を塗って拭き取ると、ひっかいた凹みに色が残って着彩できる。出来あがった椿の実に穴を開けて紐を付けるとキーホルダー、鎖を付けるとイヤリングやネックレスになり加工してお土産屋に卸すのだ。元手が要らない島ならではの商売である。
7歳年上の二上君のお姉さんは、岡尻港の近くにある定時制高校に通っており、昼間は本町港のお土産屋でアンコ娘の衣装を着て売り子をしている。
「あれがうちの姉ちゃんズラ」
二人で桟橋に行った時、二上君にそう言われて驚いた。普段と違い化粧で目鼻立ちがハッキリとしており、薄い唇は赤く塗られてあまりに原形からかけ離れていた。
彼の家の裏庭には6畳ほどの広さの畑があり、作物を作るのは二上君の役割である。季節によって大根やナス・キュウリなどを植えている。
僕は島の特性をうまく利用しながらしたたかに生きている二上君一家の知恵に感嘆し、大きな体にともなって力が強く野菜のことに詳しいのは当然だと思った。
大根は藁で吊るしてタクアンにするか細く切り天日で干して切干ダイコンにする。ナスやキュウリは糠床で漬物として保存していた。(もちろん加工するのも二上君の役割である)
また、アジを釣ってきて大きなアジは天日干しにして保存し、小ぶりのアジは素揚げしたものを酢と鷹の爪を入れた大きなビンで漬けて保存食にしている。
彼の持ってくる弁当のおかずは、いつも切干ダイコンと野菜の漬物にアジの干物か南蛮漬けだったのも頷ける。
━お金なんかなくたって、ガタイはこんなに大きくなるのだ━
僕は弁当のおかずがいつも筋の多いクジラ肉である事を、母に文句は言わなくなった。
13.コーちゃんと磯遊び
本町桟橋の南側には小さな波止場があって漁船が7、8艘舫ってある。
波止場は魚市場と繋がっており、毎朝漁で獲れた魚をその場で競りにかけるのである。
魚市場を抜けると岩礁が500mほど広がっており、その先は伝教浜という浜辺につながっていた。
浜辺のバス通りに沿ってバラック小屋が並んでいるがその一軒にコーちゃんは住んでいる。
クラスで背の順に並ぶと僕は前から二番目だが、一番前がコーちゃんだ。
彼は頭のてっぺんが平たくあごがとがっており、いつもスポーツ刈りにしていた。ちょうど三角形を逆さにしたような顔形だ。
僕たちは大潮になるといつも、どちらからともなく誘いあって浜辺や岩場に行った。
彼は海の生態に詳しく、一緒に行くと楽しい。
伊豆仲島の岩礁は数十万年以上前に三日山が噴火した溶岩が冷えて固まり、そこに海藻やプランクトンが住みついたのだそうだ。やがてそれを食べる小魚や貝などの小生物、さらにその小生物を食べる海の生き物が集まってきて生態系を形成している。その生態系の中に(場合によっては壊す存在として)人間も含まれることとなる。
コーちゃんは浜の細かい地形から四季を通じての海の動向・風の影響・干満に伴う海の生物の動きなどを、解説しながら細かく教えてくれる。
例えば冬の大潮の時、波打ち際の海藻の下にはシッタカ(食べられる貝)がたくさんいるとか、アメフラシは足で踏むと紫色の汁を出すが毒はないとか、この時期磯だまりにいるドジョウのような魚はゴンズイと言って、刺されると腫れあがり高熱が出て一週間ぐらいは痛くて寝られないとか……
その日僕たちは長靴・水ガン(水中メガネ)姿にモリを持って岩場に立っていた。
「今日はカニを突くズラ」
普通にみられるクソガニは美味しくないから突くな、という。
狙いは島でまると呼ばれている、赤茶色をして足の長い甲羅の丸いカニである(イソガニの一種らしい)。
コーちゃんは潮の引いた岩場で、海藻がはびこっている裏側や岩の隙間を丹念に探る。見つけると後についてくる僕を制し、モリのゴムを引いて身構える。そして一気に放つと矢の先端にカニが白い腹を見せ、足をバタバタさせて現れた。
彼の突き方は独特で、逃げてゆくカニは突こうとせずに長靴で踏む。甲羅を踏まれるとカニは動きを止める。そうしたら急所を外してモリを放つのだ。僕も真似してみるがなかなかうまくいかない。
「カニは横にしか歩けないズラ。行く方を予測して踏めばいいズラ」
その通りにやってみると一匹突けた。コツを呑み込むと面白いようにカニが突ける。
小一時間ほどもすると、20匹ほどのカニが突けた。甲羅に穴の開いたカニが、バケツの中で折り重なってガサガサ蠢いている。
「もう充分ズラ」
コーちゃんは獲ったカニの半分ほどをビニール袋に入れると僕にくれた。味噌汁に入れると出汁が良く出て美味いという。産卵期のメスは卵を持っていてもっと美味い、とも言った。
味噌汁の作り方、カニの足の身の食べ方、食べた後の殻を肥料にする仕方までこと細かに教えてくれる。彼と岩場にいるときは、学校で遊んでいる時よりはるかに楽しかった。
◇
「岩場、いくけぇ?」
北風の吹きすさぶ大潮のある日、コーちゃんが僕を誘いに来た。僕は行く、と言い彼と同じ長靴姿にビニール袋を持ってついて行った。
浜にはすでに何人かのおばあさんが来ており、長靴にモンペ姿で海藻の芽を摘んでいた。
「柔らかいのは二番摘みの方だしィ。一回摘んだ後の芽を摘むズラ。」
コーちゃんも磯だまりに行くと茶褐色の海藻の芽を摘みだす。海藻はハンバといい天日干ししたものを味噌汁やお吸い物に入れると、磯の香りがして美味しいという。
この時期ハンバを釣り針に付けて桟橋から投げ込むと魚もかかってくる。このころ釣れるブダイをハンバブダイと言うそうだ。これもコーちゃんの受け売りである。
小一時間でビニール袋は一杯になり、僕はコーちゃんと別れて家に帰った。今日食べるのは干さないでそのまま具として入れても良いという話しだったので、今日の分は水洗いしてあとの分は教わった通り新聞紙に広げ、三日ほど天日干しにした。
生のハンバも美味しかったが、干したものは軽く揉んでお吸い物に入れるとプーンと磯の香りが強く匂ってきて美味だった。家族も大絶賛で、父などはもっと採ってこい、などと言っている。
◇
三日後、僕は一人で岩場に行った。その日岩場はどういうわけか誰もいなかった。
ハンバは面白いように採れた。しかも他に人がいないため取り放題である。時を忘れ夢中で採っていたが、背後に人の気配がした。振り返るとそこには一人の老人が立っていた。
老人は無精ひげを生やし、頭には季節外れの麦わら帽子をかぶっている。くたびれたベルトの後ろに煮しめたようなタオルを差し込み、足には擦り切れかけた黒い長靴を履いていた。
「ニシゃぁ、どこのモンズラ?」
私が答えると、
「検察庁の坊主かぁ。じゃあしゃあねぇな。今禁漁ズラ」
私が知らなかったと言うと、無断で採ると罰金だという。二三日前コーちゃんと採った旨を伝えたら
「あそかぁ、権利を持っているズラ」
という答えが返ってきた。
浜には漁業権というものがあり、漁業協同組合がそれを持っていて権利を分けている。漁師は毎年決まった権利の株を買い、それに応じて海と浜の海産物を獲る権利を得るのだ。
僕は知らなかったと謝って、採った収穫物を渡した。
おじいさんは
「このくらいはいいズラ」
と言って一握りほどのハンバをビニール袋に入れて返してくれ、残りは自分が持ち帰った。
僕はほとんどペチャンコの袋を持って家に戻った。
━よそ者は、勝手な事をするな━
島の掟は厳格に守られている。
14.父とクロムツ釣り
「今日の夜、岡尻港へクロムツを釣りに行くぞ」
学校から帰ってきた僕に突然、父がそう言った。
「糸付きのネムリ鈎と干したサバ(付けエサ用)を4匹ほど買ってきなさい」
仕掛けとエサを買いこみ、折りたたみの五段竿を2セット持った僕と、手製の魚籠を持った父は、ゴム合羽に長靴姿で午後5時半発の岡尻港行きのバスに乗った。
本来クロムツは水深百m以上の深場に棲んでいるのだが、幼魚(といっても20㎝~30㎝ぐらい)が浅場に上がってくることがある。
毎年必ず季節になるとやってくるというわけではなく、去年は伊豆七島のどこでも釣れず今年は伊豆仲島、来年は二つ先の島といった具合で気まぐれである。
どうしてなのか理由ははっきりとは解らないが、どうやらエサになるオキアミや回遊魚の幼魚を追いかけているうち、浅場に上がって来るらしい。
昨日、事務報告で岡尻の街から来た警察官が
「いま岡尻の桟橋でクロムツが釣れている」と父に教えてくれたそうだ。
◇
夕方、20分ほどバスに揺られ岡尻港に着く頃には日も暮れはじめ夜の帳を降ろそうとしていた。バス停を降りて桟橋に着くと、先端の灯台付近には既に七・八人の釣り人が竿を出している。
コマセを撒き魚を寄せて釣っているらしい。20㎝前後のクロムツがポツポツと上がっていた。
気が急くのを抑えながら僕たちも灯台横の一角に陣取り、懐中電灯の灯りで仕掛けを整えると短冊に切ったサバの切り身を鈎に付けて竿を下した。
ウキを付けないフカセ釣りなのだが、すぐに父の竿が絞り込まれ25㎝ぐらいの目玉が大きく鋭い歯の生えた魚が上がって来た。
父は持ってきた魚籠の上に腰かけていたが、釣り上げた魚を空いている穴から中に落とし込んだ。
魚籠は父の手製で内側は蝋を塗って水が漏れないようにしてあり、外はニスで二度塗りをして防水を施している。
上部に丸い穴が開いており釣った魚はそこから入れるため、いちいちふたを開けたり閉めたりする必要がない。
水を入れないで魚を持って帰る分には問題ないのだが以前、川で釣りをして釣ったフナを生かして持って帰ろうとした時、入っていた魚が穴から飛び出して帰りのバスの中で大騒ぎをした事があった。
父はポツリポツリと魚を釣り上げるのだが、僕の竿には一向に当たりがない。
横目で見ていると、どうやら父はエサ用で持ってきたサバの切り身の残りや骨や頭などを細かく切って、撒き餌代わりに自分の竿の近くに撒き、魚を寄せて釣っているようだ。
―早く教えてくれれば良いのに。
さっそく僕も真似をしてコマセを作り、自分の竿のそばに撒いて当たりを待つと
来た!
竿が弧をえがきグイグイ引き込まれる。手元の小気味良い震えを感じながら引き抜くと20㎝ぐらいのクロムツが上がってきた。
コツを呑み込むと僕はひたすら同じパターンを繰り返した。竿を下す、コマセを撒く、待つ、かかると魚を引き上げる。また竿を下す、コマセを撒く、待つ、魚を引き上げる……
海の天気は急変する
父と僕は夢中になって釣っていたのだが、知らないうちに風が強くなり海が荒れてきていた。
周りを見ると釣りをしているのは僕たちともう一人いるだけだった。
桟橋は海底の地形に合わせて真ん中辺りが少し低くなっており、灯台のある先端がまた少し高くなっているのだが、押し寄せる高波が桟橋の一番低い中ほどで右から左に横切っており、巻き込まれたら海に呑み込まれかねない。
「ちょっとまずかったな」
父のつぶやきが僕の耳に入ってきた。
波の高さは僕の背丈ほどあると思われ、さらわれる恐怖が僕を襲った。が、波をよく見てみると5回に一回かなり高い波が来て、そのあとわずかだが間隔があく。父もそれに気づき、
「よし、今度大きな波が来た後に全力で走りなさい」
僕に言うと自分も身構えた。
一つ目、二つ目、三つ目、四つ目!
来た。大きな波だ。
波がひくと同時に
「今だ!走れ!」
父は叫ぶと同時に走り出した。フライングだ。
僕は足が速いのだが、父は運動神経が鈍いにも増して魚の入った重い魚籠を持っている。
僕は走りやすいように予めゴム合羽の前ボタンをはずしておいたが、父はぶかぶかのレインコートを纏い、すぐに追い抜いた僕の後を必死でついて来る。
やっと桟橋の根元までたどり着くと、僕たちは大きなため息をついた。
―はぁ。助かった。
とりあえず目の前の危機を乗り越えた安堵感で、お互い表情が緩む。
午後7時半の本町港行きの最終バスに滑り込み座席に腰を下ろした時、全身の力が抜けようやく助かったという実感がわいてくる。僕の目からは知らず涙があふれてきた。
◇
濡れ鼠で家に帰ると、母が心配顔で待っていた。
「頼む」
父は母に魚籠ごと渡すと風呂のお湯を沸かす準備にかかった。
魚は全部で29匹だった。
母は釣ってきた魚の鱗を落とし2匹は三枚におろして刺身に、4匹は塩焼きに、もう4匹を煮つけにした。
そして残りの19匹は腸だけを取り除いて冷蔵庫にしまった。近所の何件かにお裾分けするという。
僕は刺身二切れと塩焼きを食べたが、新鮮な高級魚のはずなのに口にすると高波の恐怖がよみがえってきて、味がよくわからない。
━命を懸けてまですることかい━
クロムツが岡尻港で釣れ続けているという情報は、それ以降入ってこない。
たとえ入ったとしても、僕たちが再び釣りに行くことは無いだろう。
15.麗子とサラサラ髪
警察署の前の道を更に真っ直ぐ行くと岩場の岸壁に出る。その少し手前に平屋で二戸一(真ん中の壁で仕切って、一棟に2世帯が住んでいる家)のバラックが何棟かある。麗子はその中の一戸に住んでいた。
壁はトタン、6畳一間に炊事場とトイレが付いているだけの粗末な造りだ。
麗子はいつも着古したセーターに厚手のスカートを身に着けていた。切れ長の眼差しに細い眉がひとすじ、額がやや広めな髪の毛がサラッとした女の子である。
僕は自転車に乗って、よく彼女の家へ遊びに行った。トレーニングと称して二人で岩場の道を中根浜まで行くのだ。
麗子はジョギング、僕は自転車で彼女の伴走をする。浜風にサラサラと麗子の髪がなびき、汗がキラリと輝く。ハアハアという彼女の息遣いが聞こえてくると、僕はゆっくりペダルを踏んだ。
浜の中ほどに着くと「一休みしよう」と言って僕たちは砂浜に腰をおろした。
彼女は下を向いて息を整えている。着古したセーターから麗子の息づかいが聞こえ、ちょっぴり尖った顎からは汗がしたたっている。僕は視線に困り、ドギマギする思いで遠くの海を眺めた。冬の冷たい潮風が僕たちの頬を容赦なく打って来る。
―時間が止まり、このままがいつまでも続いてくれないか・・・
汗が引いたころあいを見計らって、僕は「そろそろ戻ろう」と麗子を促した。
帰り道は来た時よりもっとゆっくりペダルを踏む。
家に着くのが恨めしかった。
◇
3学期が終わる二日ほど前の朝、教壇の先生の横に麗子が立っていた。
今日が最後で、あさって千葉に引っ越してゆくという。
後から頭を金槌で殴られたような衝撃が走った。どうしていいかわからなかった。
学校が終わって家に帰ると、とりあえず紙と鉛筆を取り出し手紙を書いた。今までの楽しかった思い出や、学校での出来事に対する僕の感想などを並べ立てた。
が、自分の思いは書けなかった。麗子が僕の事をどう思っているか知るのが怖かった。最後に自分の住所を書いて、必ず返事をくれるようにと締めくくった。
書き終わって封をすると必死で自転車を漕ぎ、麗子の家へ行った。彼女は家に居り、僕は
「向こうに着いたら読んでくれ」と言うと返事も聞かずに踵を返した。
━あなたといると、疲れるわ━
引っ越しのあと心待ちにしたが、ついに返事は来なかった。
16.よんちゃんとアルバイト
仲町小学校は三日山の麓に広がる街の一番高台にあったため、学校が終わって校門を出るとみんな道を下って帰っていく。
が、一人だけ裏門から山を登って行く同級生がいた。
名前は小柳四志男というのだが苗字や名前を呼ぶものは一人もおらず、みんなはよんちゃんと呼んでいた。
住まいは山の二合目ほどのところにあり、炭焼きを生業としている。
寒さの緩みかけてきた冬のある日、学校が終わるとよんちゃんが僕に
「うちに遊びに来ないか」と誘ってきた。
僕はうなずき、授業が終わると裏門を出て、二人で彼の家へ向かった。
この時期、木々の葉は落ち山道は左右から枝が迫っている。枝をよけながら分け入ると15分ほどで丸太造りの家が見えた。
それは家というよりは小屋と言う方が相応しく、屋根から伝った雨どいは、木で組んだ貯水槽に直結しており、そこから中の“炊事場”と二つ並んだ掘立小屋につながっている。
小屋の一つには五右衛門風呂があり、もう一つはトイレである。
トイレと言っても木で作った囲いの中に穴を掘って板が二本渡してあるだけ。チリ紙は無く新聞紙が無造作に置かれていた。何枚か途中で破かれているのは、どうやら読むためのものではないらしい。
中に入ると8畳ほどの空間にタンスとテーブルが置かれ、傘の付いた裸電球が吊るしてある。
部屋の中央には達磨ストーブが置かれており、端に何枚かの布団が積み上げられてあった。
電気は通っているらしいが、電化製品といえば家の隅に扇風機らしきものが風呂敷に包まっているのと、手製の箪笥の上にトランジスタラジオが一台あるだけだった。
リンゴ箱を逆さにしたものが奥の方にあり、その上に教科書とノートが置かれている所を見ると、どうやらそれが彼の勉強机らしい。
「両親は?」
と聞くと、ここからさらに10分ぐらい登った炭焼き小屋に居るという。
そこには炭焼窯と、火を管理するための仮眠小屋があり、夫婦は炭にする薪をそこまでモッコで持って行き出来上がった炭をまた二人で持って帰ってくるそうだ。
彼の家の横には炭俵が山積みにされていた。両親が焼いてきた炭を、俵に詰め小枝と一緒にわら縄で括るのがよんちゃんのアルバイトだ。一束作ると1円もらえ、一日2束ぐらいは出来るという。
他に、木製の動物を作るのも自分の仕事だと言って、もう一つのリンゴ箱の中を見せてくれた。
中には材料の蔓や木の枝そして切り出しナイフと「セメダイン」が入っており、組み合わせて作ったシカやリス・クマなどの工作物がいくつかあった。
月に一度買い取り業者が来て、出来の良い物を買い取ってくれる。一つ2円から10円ぐらいでの買い取りだが、数がまとまってくると月二百円ぐらいになる。半分がよんちゃんの収入となるそうだ。
大人びた表情でそう言うと、微かに笑った。
━君たちボンボンとは違うよ━
僕はやるせないような、後ろ指さされるような思いで山を下りていった。
17.雪子さんと長グツ(Ⅱ)
南の島にも積もりはしないが雪の降ることがある。
3学期が始まったばかりの雪がチラつく放課後、僕と雪子さんは再びスタートラインに立っていた。
しかしその時僕が感じていたのは、
「今度こそ」という必死の思いとは少し違っていた。
2か月前に敗北を喫した時、僕はある目標を立てた。
―一ヶ月間走る練習をする。そして雪子さんに勝つ!
12月に入った初めの日、朝6時に起きた僕は、まだほの暗いなか本町港の桟橋に向かって坂を下り、バス通りを左に折れて走っていった。
波止場を抜けすぐの魚市場を横に見て走ったが、市場は早朝の漁を終え獲ってきた魚の競りで賑わっていた。
すると大人たちの中に交じり、白い長グツ姿の見慣れた少女が僕の目に飛び込んできた。
―雪子さんだ
雪子さんは両側に紐の付いた深めの木箱を持って競り場を通り抜けると、漁から戻って来た船の上にいるお父さんと何か会話をかわし、箱を手渡した。
お父さんは頷くと船の生簀の魚を選別し、タモ網で何十匹か掬い上げて雪子さんに返した。
箱を受け取ると魚が跳ね出ないよう、上に新聞紙を一枚乗せて走り出す。
雪子さんの家は、市場から歩いて10分ほどの本町通り沿いで、魚屋も営んでいる。
旅館の板前さんや近所の人たちは雪子さんが帰ってくるのを待っていて、彼女が到着して店頭に魚を並べる先から魚を買ってゆく。
春ならアジ・サバの近海物から時には回遊してきたカンパチ・ヒラマサの高級魚。夏ならタカベ・イサキ・メジナ。秋なら脂ののったアジ・サバ・戻りガツオ。冬なら背黒イワシ・肝の入ったカワハギ・ショウサイフグと言った具合。
家の手伝いが終わると雪子さんは簡単な朝食を摂りそのまま学校に向かう。そのため学校ではいつも白のトレパンに長グツ姿なのである。
雪子さんにとって走ることは生活の一部であり、トレパンと長グツは生活着であると同時に学校に行く制服だった。
「位置について」
クラウチングスタートで身構えた僕に、市場での光景がよみがえってくる。
―あの木箱の重さは数キロはあるだろう。それを両手で持って雪子さんは走る。新鮮な魚を待っている人たちのために、一秒でも早く届けようと思って走る。
競争に勝った時の賞賛を想像し、その時のはにかみのポーズまで練習していた僕とは大違いだ。
「ヨーイ、ドン」
結果は走る前から見えていた。
僕はまた1メートルほど差をつけられてゴールした。
━ザマ見たことか━
ゴールを過ぎて肩を落とした僕は負けたことよりも、また明日から休み時間になっても外へ出て走り回れない苦い後ろめたさをかみしめていた。
第Ⅱ部 了
アジの開き
