字のごとく、

「分かろう」とすることは「分ける」こと。


「分けられない」ものだから

「分からない」ものなのに、


無理矢理「分かろう」とすればするほど

「分かれる」から分からなくなる。


「実感」のないものに「実感」しようと

「意識」すると「思考」が働くので、

「実感」を「意識」すればするほど

「分からない」。


そういう時は、考えること、

意識することを手放す。


意識を手放すほどに

いつの間にか意識と繋がる。


対(たい)するものは対(つい)なるもの。



意識も無意識も対なるもの。






スピリチュアルなものを追求すると、

科学的根拠が視えて来て、

科学を追求するとスピリチュアルに行き着く。


左脳と右脳


見方、視え方、表現方法が違うだけで、


双方が等しい。



分からないものは、

分けられない。




さて、今日も自然を感じるとしましょう照れ





らふ