この奇跡をどうお話すべきか。
迷いに迷いながらおりました。
というのも
私は文章力が無さ過ぎて
躊躇うほどなのです。
しかも、これを伝えても理解されるのか
どうかとも思いました。
しかしながら、事実は事実で
生きてる以上は伝えていかないと救える人も救われずに苦しむのか。

目に見えてしまい
あの世に行く前に生きている間は私の実際に起きた事を
伝えていければ幸いです。

そして救われる事を願います。

私は神さまや宗教というものを知ってても学校で教えられる一般のものしか知らない程度でした。しかし神社仏閣は非常に好きで 建築物の優美さや歴史的な仏像の神秘的な尊さに触れたい為に本を買って見るということは、よくありました。
本当にそんな程度の人間でした。知識もそれほどあったわけでも無い、宗教とは遠い一般人でした。
私は随分昔に家族でマレーシアに5年
居住していました。
今思うと 人生の中で、最高の時だったのかと思います。

外側だけで判断すればですが。

私には二人の息子がいます。
これから話すのは
次男の事です。
幼いころ彼は
よく遊びよく笑い
活発な子供でした。
誰もが普通に成長してると思っておりました。
しかし 変化が訪れた
のは、幼稚園 小学校の集団生活の場面です。
どうも周りとは違う行動。
やんちゃで手がかかる上
勉強が出来ないといった
親としては、落胆するばかりで
した。
あまりにも目立っていたため
ご近所付き合いもままならない状況でした。
当時、日本に帰省して 以前から悩みを伝え、ある親戚に
相談していたのです。

伝手を使い念願かなって大学病院の腕の良いと言われる先生を紹介され受診し 色々検査をした結果
当時 

軽度ですが知的な部分で発達障害と診断を受けました。決定的で私は涙が止まりませんでした。
海外でそんな子供の療育の受け皿が全くない為 やむなく
日本に帰る事を決めました。

たまたま偶然にしては出来過ぎですが
息子が通った小学校は私の母校であったこと、更に小学校の校長は
福祉に強く、担任の先生も
すごく良くしてくださりました。
同級生も誰しもが
普通に接して
我が子はお友達が出来
私は凄く安堵したのでした。
過ごしていく中 発達障害支援センターに通いトレーニングを受けたり日々 向き合って生活しておりました。
しかし 勉強は相変わらずで
これでは とても中学ですら一般的に進学が難しいのではないだろうかと思うくらいでした。不幸は色々続きます。
もしかしたら何か得体の知れない 非科学ではあるけれど
見えない何かがもしかしたら
あるのではないかと
妙な胸騒ぎもして
そんな悶々としてる時に


学校の活動の中で、

今菩薩様である先生と出逢う事になるとは‥
これを境に私達の運命は大きく変わり始めるのでした。