マッサージ学校のある日の朝、いつも通りの朝のお祈りの後、今日は皆に話があるそうでーすとの生徒さんからの情報。


コロナが始まり元々いた先生たちは仕事がないため

一旦、解雇のような形になり、元に戻れると思いきや4年近く続いてしまったコロナ禍により

それぞれが、それぞれに、形を変えてしまい

元には戻れなくなってしまった と言う現実🧐


校長と、旦那さん2人の体制。全てのコースを一度に教えることに、限界を感じ

さらには生徒の予約受付管理のやり取りや、毎日の朝食作り、買い物、、などなど全てを2人でやることに限界を感じていらっしゃいました。




現に私も2年ぶりにこのスクールにきたら
生徒数に対して完全にキャパオーバーだよなぁと感じましたし、午前に各コースの手技の手順を一から全て説明、また、違うコースでは午前練習で、午後は先生が次のステップを説明、など
ひたすら生徒同士での練習が長く、それを見てついてくれる先生がいない、手直しされない、うまくできない、納得してない、もう一度お手本が見たいテクニック、などがあっても手の空いてる先生がいない、などと言う状況でした。

初めて来た生徒は こんなもんかぁと思うでしょうけど、5回目の私には明らかに違和感を感じてしまいましたし、やはり物事をはっきりと喋る外国人仲間からはかなりの不満がでておりました。


それでもう先生たちも疲弊し、寝る時間以外全て仕事という状況、キャパが間に合っていない状況を変えるために、これから学校の方針を変えていきます、とのお話でしたが、その前に

寄付のお願い のお話もありました。


その話の真髄がよくわからぬままに、

みんな脳内" ? " になっていたところ、英語ペラペラの日本人生徒がざっくり要約して説明をしてくれましたが




突然、校長が泣き出してしまったのです。


何度か記事にもしていますが、タイは仏教国であり

"お葬式やお盆でしかその行事的なことをしない日本" とは違い、 日常的に、もはや、ほとんどの方は毎日、 お寺に出向き手を合わせてお祈りしたり、タンブンと言って (托鉢のこと)自分のお金で生活をしてはいけないお坊さんに食べ物や飲み物を恵んだり、 お寺に出家のお坊さんのための一式セットを恵んだり、孤児を保護しているお寺に子供達のためのノートや鉛筆を寄付したり、

寄贈系のタンブンから、 単純にお賽銭を入れるような感覚で、 数十円でお花を買ってお供えしたり、💐  自分の生まれた曜日のお坊さん像のところに小銭を入れたり、


ヤギや牛に餌をあげる、 鯉を買って川に放つ、鳥を飼って空に放つ、など


本当に色々な種類、色々な用途のタンブンがあるんです!


でも簡単に言うと、 人のため、誰かのために

お裾分けをする、という習慣で、

その人達に何のメリットがあるか、ではなく、自分が誰かに良いことをするから、来世では良いことが返ってくるだろうという信仰心です。輪廻転生を信じるタイ人の国民性です。



校長は孤児院に寄付をしたいのと、自分も通っている漢方系のスクールにエアコンがないため冷風機を2台寄贈したいとのことで、自分にも限界があるので生徒さんからも有志ですこしお気持ちを頂戴できたら、、。


でも17年学校を経営してきて一度もそんなことを生徒さんに話したことはない。

夫 (日本人講師)に相談しても、


"日本人には寄付の文化はないからそんなことをお願いすべきではない" と言われてしまい、タイ人の国民性、日本人の国民性として一生わかりあうことのできない部分ですれ違いができてしまい、、と言うところでの

先生の大泣きでしたえーんえーん


その場の雰囲気や、話の内容もあり

何人かの生徒も泣いていましたえーんえーん


 少なくとも、たんなる遊びや観光で来てる人たちではなく、タイにまで行きマッサージを学びたい、理解したい、と言う人の集まりですので、もちろん共感はしますよね。




ただ、もちろん寄付はお気持ちなので

したくない人はそれでよいし、もし協力できるひとは、いくらでも良いのでお願いしたい。

とのことで購入品一覧と金額一覧、寄付した人の名前を書く紙が貼られました。



タイ人女性は、気性が荒いけど、すごく男性を立てる傾向にあります。ましてや国籍の違う2人がインターナショナルなスクールを経営していて、

田舎出身の校長は英語が話せる時点でとても裕福で育ちが良いことがわかります。


今回は目的がはっきりとわかっていたし、

私はタイのカルチャーも、タンブンの文化も全てに惹かれているのでもちろん協力いたしました。


お客様からいただいた餞別も一部寄付に使わせていただきました。ウインク


腹回りの肉よ..🤮🤮🤮笑

ワニかと思った 🐊💀


そんな感じで、今回生徒の年齢層が高かったこともあり、50代、40代などの生徒は1000〜2,000バーツの寄付をしてる方も多かったです。

(1000バーツで4200円くらい)


日本円で1000円の寄付だけの方もいれば、

500バーツほどの寄付が多かったかな?


もちろん、気持ちの問題なので、

してもしなくても大丈夫。


その日は先生のエモーショナルな雰囲気のこともあり、何人かの生徒も泣いていましたし

私も学校が終わって改めてじっくりと文化の違いについて思いを巡らせていたら

自然と涙が出てきて超デトックスしました!笑


"たしかに自分も含め日本人は

よほど大きな震災で義援金を募っている、とか

デパートの前で高校生が募金箱を持ちながら呼びかけている" みたいな状況だとすこしお気持ちを入れる人が多いと思います。


でも、ネット広告などによく見る

孤児院など親のいない子供への募金、とか

犬猫シェルターへの募金、みたいな

何か起きてるわけじゃないけど漠然と常日頃から募集してる募金 に、

わざわざ自ら寄付する人はとても少ないのではないでしょうか? また、寄付だけでなく

協賛も同じかと思います。


私も以前、県内の有名校の行事を成功させるために協賛のお願いをされたときに、

自分に関係のない、ましてや子供が通ってるとかでもない、ジャンルのお願いに


たった2000円の協賛ですら渋ってしまっていました。


そう、日本人はほとんどの場合

自分と接点があるか?

自分にメリットがあるか? を考えて優先してしまうのです。


よくある話では、自分の子供の学校の野球部の遠征費のお願いだとか、学園祭への協賛だとか、

そのようなことならほとんどの親御さんが進んで協賛するのではないでしょうか?


しかしながら自分に関係ないことに関しては

あまり寄付、協賛をしないのが日本人だと思います。


だからこそ、そういうもどかしい思いを抱えながら、日本人生徒に寄付のお話をしたとき

思いが溢れてしまったんだと思いますガーン悲しい


自分にメリットがあるかどうかではなく

ただ、タンブンをする。

人に良い行いをする。 まだみぬ誰かのために

寄付をする。寄贈をする。

誰かのために良い行いをしたら自分がハッピーであるし、もらった人、受け取った人もハッピーになる。


つまりはタイは微笑みの国と言われていますが

お互いに HAPPY TOGETHERであること、それがもう文化であり習慣である、というのがタイの素晴らしいところであり日本人が忘れている心だと思います。


もちろん全ての物事に、寄付できるわけではないですが他人に良いことをしたら気持ちが良いものです。

その気持ちが、形を変えて自分のもとに返ってくるようになるほどに、寛容な心でいたいものですねキョロキョロ


授業の前に、このマッサージを考えた人に感謝、お祈りすること。

旧正月には帰省し、身内の目上の人へ感謝をつたえ不浄とされる足を洗うこと。

よくないことが起きた時も、ひたすら祈ること。

ロイクラトン祭りになれば、水の神様に感謝して灯籠流しをすること。


タイには見えないものを信じ感謝をささげる

優しい人の心が垣間見えますおねがい


そして、目がハート学校は、いろんなリニューアルを経て。他店から先生を引き抜いたり、以前いた先生を呼び戻したり、朝のエクササイズ担当のヨガの先生を導入したり、姪っ子を完全にスクール担当者として雇ったりして、校長はあくまでも校長ですが

現場に全て出続けるのではなく、人を雇い、海外への支店やビジネス拡大に力を入れ始めましたウインク


そしてあの涙の日頃から

カンの鋭い私が薄々気づいてしまってたこと

なぜスクールの体制が変わるのか

なぜこんなにタンブンに力を入れ始めたのか


私の予想が当たりましたニヤリ

これは個人情報なので、ここには書けるわけもありませんが、、笑



何もかも、時間とともに、形は変わってゆくもの。昔は良かった、あの頃は楽しかった、そんなことも当たり前だと思います。
次に行くときは、私の好きなスタイルの学校ではなくなっているかもしれない、
でも、それならそれで、合わないなと感じたら、自分でそっと離れて、違う選択肢を選べばいいし、知り合いだし、とか、昔からの付き合いだし、だなんて思う必要はない。
環境が変わったのなら、自分だって変わっても良いし、誰が何を言うわけでもない。
自分で良いものを選択することが大切👻



こちらの記事にも

タイ人の信仰心に触れております🖕