地上での人生を終え

いのちの源へと還って行ったSさん

 

人生は

TVのスイッチをプツンと切った時のように

一瞬でジ・エンドになっちゃうものなのね

 

あまりに突然で

あまりにあっけないから

 

ああ、地上での人生って

やっぱり夢なのか…

 

という思いがふつふつと湧いてくる

 

 

私たちの日常にいた人が

ある日突然フッといなくなってしまう

それは

あり得ない出来事だったはず...

 

なのに

彼女のいない日常が

当たり前になっていく不思議さ

 

何だか時の流れが早送りになっていない?

 

 

駅の人ごみの中で

近所のスーパーで

Sさんが何度となく通ったであろう道を

歩きながら

 

当たり前に毎日が

繰り返される気がしていても

いつまでもこの日常が続く気がしていても

 

自らの筋書きを演じ切ったら

自分もまたこの地上を離れていく

それだけは唯一確実な未来

 

自分がこうして肉体を持って

存在していること

物質世界で生活していること

 

その不思議さを

Sさんが亡くなった今

あらためて噛みしめている

 

 

じっとわたしを見つめるSさんの

細く弓状に描かれた眉

その下にある曇った小さな目は

子供のようにどこか頼りな気で

不安、だったのかな

 

部屋を訪れるたびに

子ども用の小さな椅子に

ふわふわのクッションを乗せて

座るようにすすめてくれたね

 

几帳面にクリップで束ねられ

ベットの上に整然と並べられた薬の空袋

 

「今年は8つも花をつけたよ」

と嬉しそうに教えてくれた胡蝶蘭の鉢植え

 

その部屋はもう空っぽで

Sさんが愛用していた物は跡形もないけれど

 

彼女が使っていた洗剤の残り香は

今も、しっかりと部屋に残っている

 

現地に骨を埋める覚悟で

遠い未開の異国へ赴き

救いを求める人々のために

一生を捧げたmissioner(宣教師)たち

 

彼らの行動の軌跡に触れるたびに

魂を揺さぶられ

目頭が熱くなるのを感じます

 

 

たとえば

 

明治維新の年にフランスから長崎へ渡り

恵まれぬ境遇にある人々のため

私財を惜しみなく投じて

数々の施設や働く場を建造した

ド・ロ神父や

http://www.kanko-sotome.com/heritage/


アメリカ聖公会宣教医師として来日

医療によって人々を救うために奔走し

“Let the work go on"

(事業を継続するように)

という言葉を遺して58歳で昇天した

ルドルフ・トイスラー博士

 

 

トイスラー博士が築いた

聖路加国際病院のチャペルの入り口には

次のような言葉が刻まれているのだそうです

 

This hospital is a living organism 

designed to demonstrate 

in convincing terms
the transmuting power of Christian love
when applied in relief of human suffering.


Rudolf B. Teusler (1933)

 

“人類を病苦から救うため

キリスト教の愛の力を

この地上において活用するなら
苦しみは平安へ昇華することだろう

この偉大なる愛の力を

人々に深く知らしめるための実践的機関

それが、この病院なのである“

 

つまり

病院の上にそびえる十字架の力を

その下にある現場において

実現していく

ということらしく

 

一言でいえば

聖性の物質界への下降

を意図されていたのでしょう

 

 

 

なぜ彼らは

一生を賭けるほど情熱的に

私を滅して公に尽くすことができたのか?

 

それは

彼らが

全体の善を目指す内的な力

とのつながりを絶やさなかったから

 

行動の一つひとつに

無条件に与える愛の力が宿るよう

祈りを絶やさなかったから

 

ではないでしょうか

 

 

人生において

何を目的とし

何に意味を見出し

何を行うかは

人それぞれ

 

けれど

何をしてみても

なぜか

心満たされず

 

何か肝心なものが

欠けているように感じているなら

 

自らの身体の発する温もりや

その奥にある

心臓の拍動や呼吸運動に

意識を向けてみる

 

命を与えられ

生かされていることの

不思議さ

その奇跡的な力に気づくとき

 

自分の中にも

Missionerに宿っていたのと同じ力

 

生きとし生けるもの

すべてを包み込んでいる

聖なる力が

宿っているのを

実感することでしょう

 

missionerとは

その聖なる力の存在を確信し

地上に現そうと試みた人たち

 

なのかもしれませんね

 

空気がなければ僕は

呼吸することができず

 

空気が薄くなれば

胸が苦しい

 

いつから僕は呼吸を

するようになったのか?

 

当たり前に体が

覚えているよ

 

「空気」by C&K より

 

 

私たちは

呼吸によって

空気中の生命エネルギー(プラーナ)を

取り入れることで

肉体を維持しているのだという

 

さらに私たちは

人間として感じ、考え、創造するために

プラーナよりも周波数の高いエネルギーを

チャクラを通じて体内に取り入れているのだ

という

 

 

 

呼吸により

生命エネルギーを取り入れる器官は

胸の中央にある

 

 

物質界にしっかりと根を下ろし

豊かな感覚を持って

自らの意思により活動するための

エネルギーを取り入れる

第1〜第3チャクラ

 

そして

コミュニケーションや直観

自己を超えるものとの回路となる

第5〜第7チャクラ

 

身体の下位と上位に位置する

これら6つのチャクラをつないでいるのが

肺と同じく胸の中央に位置する

第4チャクラである

ハートチャクラ

 

 

肉体がプラーナを

受け取ることを必要とするように

 

私たちがこの地上で

自分とつながり、

道を見失うことなく

使命を実現するために

必要なのが

 

ハートチャクラから受け取る

高次の愛のエネルギー

 

 

 

いつも忘れずに意識していられるように

胸に手を当てて

ゆっくりと息を吸って、吐く...

 

すべてに等しく注ぐ

神の無条件の愛の力を受け取り

地上での活動に応用することを

いつも忘れずに意識していられるように...

 

 

5月X日

先月亡くなったHさんの部屋の

跡片付けをする

 

 

大量の衣類

同じく大量のカセット、CD、DVD、

映画のパンフに

撮り溜めた写真のネガやアルバム

旅先で集めた小冊子

幼少時や若いころ、家族や母親の写真

お役所書類や領収書の束に

人妻や熟女の文字が踊るアダルト雑誌

 

 

 

なぜ?

 

なぜ

わたしが

 

彼の部屋の跡片付けを

しているのだろう?

 

 

 

家族でもない

彼が暮らしていたホームの

一職員に過ぎないわたしが

 

僅かな期間

かかわったというだけで

 

彼が入って欲しくなかったであろう

プライベートな空間に

図々しく踏み込み

 

その生活の痕跡に触れることを

許されているのは

 

いったい何の巡り合わせなのか?

 

 

彼が人目に晒したくなかった

内面生活の痕跡は

 

何の面識もないプロの業者に

片付けてもらった方が

よかったんじゃないか…

 

 

胸中、そんな想いが

ぐるぐる巡りしているんだけど

 

なぜか手は止まらずに

 

遺品の入ったケースを

次々に暴いては

中身をビニール袋へ分別していく

 

 

 

結局

"血のつながり"なんて言っても

 

会うことも

連絡を取り合うことも

失くなれば

 

たいして感慨も湧かない

水のようにサラサラした関係に

還元されちゃうみたいだ

 

 

だから

 

大事なのは

日常を共にし

言葉を交わし続けること

 

でもそれだけでは

十分じゃなくて

 

お互いのあいだに生まれる共鳴

つながりの感覚こそが

 

私たちがこの世界で

 

生きてる!

 

って感じるためには必要で…

 

 

互いのあいだに

目には見えない橋が

架かったように

感じていたなら

 

どちらかが旅立った時

 

自ずと

何かしらの感慨が

胸にあふれてくるもの

 

 

そうしたら

 

生きた証しが詰まった

秘密の小部屋の

跡片付けをしても

 

許してもらえるのかも…

しれないね? 

 

Hさん

 

 

 

 

4月末に

職場の精神障害者グループホームの

メンバー、Hさんがご逝去されました。

 

Hさんの魂の平安をお祈りいたします。

 

 

 

 

Hさんが亡くなってしまった

 

 

 

重力の働く物質世界で

身体に閉じ込められて生きる、わたし達

 

 

 

旅がしたい!

美味いものが食べたい!

 

こころは

湧き立つ意欲にあふれているのに

 

長きに渡る多剤服用のため

すっかり硬化してしまった身体は

もはや意のままにはならなくて

 

もう疲れちゃったんですよ

 

しわがれた声で

あなたがふともらした弱音が蘇る

 

 

 

鉛の身体からも

日常の桎梏からも

解き放たれて

異世界へ旅立って行ったHさん

 

あらゆる荷を下ろし

軽く、自由になった今

 

かつてない安らぎに

包まれていることでしょう

 

 

 

ただ今、戻りました!

そんなあなたの挨拶を聞くことも 

 

お帰りなさーい」って

出迎えることも

できなくなっちゃったのは寂しいけれど

 

 

思うようにならない身体に

苦しめられながら

最後まで生きる意欲を失わなかった

あなたの姿、あなたの声は

わたしの中で生き続ける

 

 

お疲れさまでした、Hさん

 

ありがとう、Hさん