ピラティスとは(その5)医療分野との連携を模索するも… | 千葉船橋・心も体も好きな私になるピラティス【PILATES body&mind】

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ピラティスの歴史シリーズ

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晩年はコントロロジー普及活動にとりくんでいたジョー。

特に医療分野との提携を模索していました。

親友でもあったレノックス病院の整形外科局長ヘンリー・ジョーダン医師は、患者を多くジョーのもとに送り込んでいて、それにより手術を回避できたこともあったそうです。

また、ジョーの弟子の1人イブ・ジェントリーは、元々ダンサーでしたが、乳癌で乳房をや周辺組織をたくさん摘出しましたが

その後ジョーとリハビリに励み、カラダのフルコントロールを取り戻して、ダンスに復帰したそうです!

大胸筋も切ってしまったのに、プッシュアップ(腕立て伏せ)ができたそうですよ。

やはり、ピラティスは、パーツエクササイズではなく、フルボディ、全身をうまく協調させながら行うエクササイズなんだな、ということですね。

で、このイブは胸筋がなくてもコントロロジーでリハビリしたことで、こんなに動けるようになったんだよ、ということを証明するために、

ジョーはイブを上半身裸にさせて(女性ですよ、もちろん)コントロロジーのエクササイズをしてる姿を、証拠として撮影したりしてました。

その映像はいまもDVDに納められていて、見ることができます。

そんなこんなの宣伝活動してたのは

整形外科にリハビリとしてコントロロジーを正式に導入してもらうため。

ところが、いったんある病院で導入決定したものの、なぜかその後撤回されてしまった、という出来事があり、非常にショックを受けたようです。

それも一因となって、ジョーはうつ状態に陥ってしまったようです…

晩年は、こうしてコントロロジーがなかなか社会に広く受け入れられていかないことにガッカリしていたようです。

ジョーの弟子の1人、ロリータにはよく、こう言ってたそうです。

「いつか受け入れられる日が来るだろう」

「わたしのメソッドは50年早かった」

そうこうしてるうちに、1966年1月、スタジオが火事にあってしまいました。

それが直接の原因ではないようですが、亡くなったのは、その翌年。

86歳のことでした。

次の記事では、ジョーの死後どうやって今のように広まっていったのか、書きますね。

あとは弟子たちの話かな。