
昨年8/14の記事の続き(長文です)…僕の祖父さん祖母さん(父の両親)が若い頃、叔母さん(父の長姉)が産まれた時に撮影された105年前の写真(1921年、大正10年撮影)。
この記事で一緒に写ってる老夫婦が祖父の父の馬太郎夫妻だと書いたが(父からの情報)…実はこの記事を書いた日に“井上家”のお墓参りに行って、一つの疑問が生まれていた。墓に刻まれた馬太郎さんの亡くなった年が1919年となっているのだ。で、そのあとの情報では馬太郎さんは93歳で亡くなったとのこと。写真のお爺さんは六十代くらいに見える。この写真に写ってる老夫婦は一体誰なんだ?
その答えは思わぬところからやって来た。去年秋、父から荷物が届き、20年くらい前に父の長兄がまとめた井上家の家系図などと一緒に、祖母さんが子供達に遺したノート(自分の生い立ちを書いたエッセイみたいなもの)のコピーが送られてきて、その中に答えが書いてあったのだ。それによると、この老夫婦は祖母さんの祖父母である山本作治・いと夫妻であった。
以下コマキ祖母さんのノートにある、そのくだり
「梅子(※叔母さん)が生まれたとき、祖父(作治)と祖母(いと)が(高知から)東京に来てくれました。確かのことは覚えてませんが、梅子が2月のはじめ生まれてから4月頃まで居てくれました。帰るときは東京駅に私達夫婦が送って行きました。
祖母は泣いて別れを惜しみましたが、さすが祖父は男ですから泣きはしませんでしたが、眼をしばたたいて涙をこらえて居ました。
今もその有様が眼に浮かび、胸せまる思い出です。
あの頃の写真を梅子が引き伸ばしてくれて、アルバムに貼ってあります」
父が写真の人物を間違えるというケアレスミスが何故あったのか不思議ではある。
この祖母さんのエッセイが面白く、読み込んでしまった。祖母さんは明治31年に高知県安芸市に生まれた。戦国時代、安芸を治めていた安芸国虎の城跡の近くが育ったところで、明治三十年代はまだ武士の時代の雰囲気が色濃く残っていたという。ちなみに井上家の先祖も安芸国虎に仕えた侍とのこと。
祖母が幼い頃、母親が川で布団を洗濯する横で、泳いだり小魚をすくってたりして遊んだのが楽しかったとエッセイには書いている。
リュミエール社によって撮影された“最古の日本の映像”は明治三十年代で、祖母さんの子供時代と重なる。残ってる映像も手がかりにしながら、自然の豊かさや空気の綺麗さ、礼節に溢れたニコニコした慎ましい人々…などを想像してみると、いまの世界のどこにも存在しないドリームランドがこの国にはあったのだろうなと感じてしまう。
更に、写真の山本作治・いと夫妻や二人の息子の市郎さん(祖母の父。東京大空襲まで日本橋で食堂を営んでいた)の“山本家”のお墓が多磨霊園にあると教えてもらい、昨年大晦日にお墓参りに行ってきた。
今回祖母さんのエッセイを読み、高知県安芸市に一層の興味が湧き、Google Earthで町の風景や空撮画像をチェックしてしまった(便利な世の中になったものだ)。両サイドを山に囲まれ、太平洋に面した小さな城下町。ここから岩崎弥太郎も巣立っていったのだなと。
東京生まれ東京育ちの田舎を知らない僕には“心の田舎”が出来た感じ。いつか訪れてみたい。
そしてそして、山本作治さんと間違われた、祖父の父・馬太郎さん。こちらの1826年生まれ疑惑も更なる謎である。本当だとすると祖父は馬太郎さんの60歳くらいの時の子供となるが…とりあえず1826年は文政9年…今からちょうど200年前であり、明治維新のレジェンド達と同世代だ(勝海舟1823年生まれ、岩倉具視1825年生まれ、西郷隆盛1828年生まれ)。
その息子の祖父さん(明治21年生まれ)は、東条英機ら太平洋戦争の時の指導者達と同じ世代。そして、敗戦から戦後の復興…高度経済成長の時代を生きてきた父。
何というか…自分のルーツを知るのも大事だし、自分が連綿とした歴史の連なりのなかに生きてるって事を知るのも大事だなと感じさせられた。
105年前の写真(コピー)は、いまジムの壁に貼ってある。