今年は格闘技関係の訃報が多い。
先月にはビクトル古賀さんが亡くなられた。日本にサンボを根付かせた功労者。
面識もないのに「さん」付けで呼びたくなるのは、古賀さんが僕がプロレスファンになりたての小学生の頃に「週刊プロレス」に登場されてたから。そのウィットに富んだ語り口と含蓄に溢れた話は、どこか“親戚のおじさん”を思わせる親近感と飄々さで、僕の心のなかに入ってきた。そのあと大人になってからも、古賀さんの“お話”からはいくつもの示唆を頂いた気がする。
古賀さんの少年時代を描いたノンフィクション『たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く』(石村博子/角川書店)は、小学生や中学生の推薦図書にしたいくらいの名著だ。
満州で日本人の父とコサックの母の間に生まれたビクトル少年が、終戦後、満州の広野をたった一人(!)で歩き日本を目指すという、奇蹟のような物語。10歳の少年がコサックの知恵とあらゆる力を使い、危機を乗り越えてゆく、そのサバイバル能力!しかもどんな時も笑顔を忘れずに。
一人でも多くの現代の子どもに、ビクトル古賀という魅力的な人物がいたことを知ってもらいたい。
また今月5日には、ダイナマイト・キッドが亡くなった。60歳の誕生日だったという。
言わずと知れた初代タイガーマスク最大のライバル。小さな身体を駆使したカミソリファイトは、やがてステロイドに蝕まれ、刹那的なファイト人生を駆け抜けていった。
キッドのラストファイトとなった1996年みちのくプロレス両国大会での試合は僕も直で見ている。その試合でステロイドの副作用(?)で別人の様に痩せ細っていたキッドだが、いま考えるとまだ37歳だったのだな…と驚愕してしまう。
83歳の人生を全うした古賀さんとは違い、キッドはそのレスラーのキャリアで人生の炎を燃え尽かせたのだと思う。写真の2013年「Gスピリッツ」誌での特集とインタビューが、生前のキッドを取り上げた最後の雑誌媒体だと思うが、まるで生前葬の様なイメージだった。それくらいキッドの晩年は抜け殻みたいな印象で、リアルにあしたのジョーの矢吹丈そのものの人生を生きたのだと思う。
早すぎる死と報じてるメディアもあったが、決してそうは思わない。
そして今年といえば山本KID選手の死が衝撃的だった。(いま書いていて、山本KIDとダイナマイト・キッド…二人のキッドを僕らは失ったのだなと愕然としている)
だが山本KIDの不在だけは、どうにも消化できない自分が居る。いとうせいこうさんがナンシー関の死に感じた様な、「追悼」とも言いたくない様な気持ち。それほど山本KIDと死は似つかわしくない。
生者の記憶に残り続ける限り、その人は生き続けるとの言葉があるが、ダイナマイト・キッドや山本KIDの全盛期の動きをこれからもYouTubeで見続けたいと思うし、ビクトル古賀さんの言葉も折に触れ再読したいと思う。
記憶のなかに彼らは生きている。
