最近読んでる本は、教育に関する座談会が一冊になった『おせっかい教育論』(鷲田清一・内田樹・釈徹宗・平松邦夫/140B刊)や『教室内カースト』(鈴木翔、本田由紀解説/光文社新書)などです。
いわゆる学校のクラス内での地位を表す“スクールカースト”みたいなものは、団塊ジュニアの僕らの時代からありました。ありましたが、こんなに深刻な問題ではなかった様な。
四半世紀が経って、いまの教育の何が問題になってるのか?
『おせっかい教育論』のなかでの内田樹さんの以下の発言。
「学校教育が今、歪んでしまったのは、教育活動を行うのは共同体の利益のためではなく、教育を受ける個人がそこから受益するためのものだという勘違いが広まってしまったからだと思います」
本来教育というのは、自己利益でなく、共同体存続の死活問題として「共同体を支える公民的な意識を持った人間」を作っていくためにあると。
「『どういう教育であるべきか』という問いは、何よりも『共同体が生き延びるために』という目的が掲げられなければならない。でも、実際には教育をめぐっては、教育を受ける側の『オレにとって気分のいい教育はどうあるべきか』という問いばかりが語られる。どうしてかと言うと、これは『消費者の言い分』だからです」
共同体、つまりコミュニティよりも、個人のニーズが大切になっている現状。教育がサービスになってしまっている。
俗に言う“モンスターペアレント”とスクールカーストの問題というのは、コインの表裏みたいな関係になってる気がします。
何だか果しなく荒涼としてる光景というか、身も蓋もないというか…。
内田樹さんの発言を読んでて思い出すフレーズがあります。
アルコール依存性の人達の世界的な自助グループ「AA(アルコホーリクス・アノニマス)」の“12の伝統”と呼ばれるものの冒頭のくだりです。
「各メンバーは、アルコホーリクス・アノニマスという大きな全体の一部である。AAが生き長らえなければ、私たちの多くが確実に生命を失うことになるだろう。したがって私たちの全体の福利がまず優先される。しかし個人の福利がすぐそのあとに続く」
切迫したアルコール依存性の自助グループだから「私たちの多くが確実に生命を失うことになるだろう」というキツイ表現になっていますが、本来コミュニティというのは、そのくらい生きてく上で不可欠なものなのでしょう。(もちろん全体主義に陥らない注意が必要ですが)
コミュニティの意味や意義から、人と人との関わり合いについて考えさせられる…そんな読書の秋でありました。
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