何でもなかったものが博物館に並ぶように、動物の死骸が化石燃料になるように、

 

時間の経過する私たちの生活ではよくこんなことが起こる。

 

「もう使わないから捨てなきゃと思っていたけど

 

時間が経ちすぎて懐かしい思い出の品になってしまい捨てられない」

 

という、困った事態が…。

 

 

 

もしまだここに生息している人がいればお久しぶりです。

 

そんなとんでもない生命力の人がいればぜひ連絡をしてほしいと思いつつ、

 

ぼこです。中の人です。本人です。

 

女子中学生でもなければ女子高生でもなく、

 

そのうえ吹奏楽とは何のかかわりもなく毎日を過ごしていますが

 

いまだ劣化の気配を見せないネット上のデータには

 

開設当時のままの私がいて、なんとも落ち着きません。

 

 

しかし冒頭の話はとりもなおさずこのブログのことで、

 

読み返せば懐かしい気持ちが勝ってしまい、消すには至らず。

 

過去にもそんなような記事を書いたことがあったかな。

 

2年おきぐらいに脳内で内部戦争が起きては保守派が勝利を収めています。

 

元来、変化は苦手なのです。変わらんなぁ。

 

 

 

さて、消せないついでに何ならすこし更新でもしましょう、と。

 

現在、めでたく大学生活を送っています。一人暮らしです。1年生です。

 

…高校卒業の年から1年間ずれてるって?

 

卒業の年、1つの悲劇があったのだ。

 

『推薦が使えると言ったな?あれは嘘だ』

 

「うわああああ」

 

原因は自らの不徳(出席日数不足)の致すところにより、

 

卒業判定が3月半ばまで出ないと判明したため。

 

自分のせいだろと言われればその通りなので耳が痛い。

 

 

その後なんとか不足は解消し現役で卒業したものの、

 

1年間の修行(バイトとニート)を積んでからの進学となりました。

 

さて、ひたすら辛いかと思われた浪人生活ですが意外なことが。

 

とりあえず免許でもと教習所に通ったですが、

 

これがちゃんと毎日起きて通えるんですよ…。

 

今までの地獄みたいな朝は何だったのかと思うくらい。

 

そのあと始めたアルバイトも。

 

お店選びから電話連絡、口座開設、出勤、勤務まで。

 

未成年だったから必要な事務手続きなんかを除けば、

 

自分でできないことなんか何一つなかったですね。

 

 

これは不登校あるあるだと思うんですが、

 

「学校に通えないようなら、ほかのことなんて何も出来ない」

 

と言われることが結構あるのです。

 

それで必死こいて、学校ぐらい行けるようにならなきゃって苦心するのだけど。

 

あんなん全部ウソだぞ、学校に通えなかったけど

 

それとほかのことが出来る出来ないは何も関係なかったぞって

 

昔の自分に伝えたい。

 

 

 

高校を卒業して「学校いかなきゃ」がなくなったあの1年、

 

ようやく休めたような気がするなぁ。

 

それまでは、本当は休んでるのに

 

「休んだから学校いかなきゃ」とか「私は学校ずる休みしてる悪い人だ」で

 

気持ちは辛いばっかりだったような…周りからすれば迷惑な話だけども。

 

「まずは休んで、それからです」と言ってくれた医者の先生がいたのを思い出す。

 

ようやく「それから」になったのかもしれない。

 

 

ちなみに今も、大学はきちんと通えています。

 

何なら授業が楽しいです。基礎電磁気学と基礎代数学が特に好きです。

 

理工学部に進学したのですが、

 

全員が運動方程式を知っていて物理について話せるって

 

自分が思ってたよりずっと楽しいです。

 

湯川先生ありがとう。(もう結婚は仕方ないよ、受け入れたよ…。)

 

 

家族を捨て置いたような罪悪感がないわけじゃないし、

 

あんまりレベルの高い大学でもないのですけど、

 

一人暮らしも大学生活も、自分のための秩序ある日々が送れていて

 

昔よりずっと満たされている感じがします。

 

 

 

ちなみに、まぁ数えていけばわかることなんですが、

 

成人しました。

 

ワー。

 

年金の打撃がすごい…

 

なお、お酒はあまり強くない模様です。

 

 

 

さて、そろそろ帰って夕飯作らねばならぬ。

 

キャベツしかないな。どうしようかな…。

 

ではまた☆彡