こんにちは、都内在住・世帯年収4000万・3人子育て中のぼちやまです。

 

昨日の桜蔭オープンを受けた皆様、お疲れさまでした。

 

娘は「理科と社会が難しかった、、」と申しておりました。

(実力不足感がありますが、、)

 

実際に、社会の問題を見ると正誤問題は全てのパターンが記載(例えば1~3の文章があり、それぞれの正誤を問う場合の選択肢が2×2×2=8通りの選択肢がある)されているので、一つでもあやふやな知識があると絶対に正解にたどり着かないという、実力を伴わないものを振るい落とす形式がしっかりなされていました。

 

また、この時期になってくると算数・国語も含めて、実際に問題のレベルは本番レベルのため相当な難易度になっていると感じています。

 

・巷で言われる「中学受験は親の受験」と言われるのは本当か?

 

中学受験を表す言葉として「中学受験は親の受験」というものがあります。

 

この言葉を言っているのは主に以下の2つのグループだと認識しています。

 

①中学受験を自身も含めて経験したことがない人々

②中学受験産業で生計を立てている人々

 

少なくとも、自身が中学受験をした(正確に言うと難関校に進学した経験のある人)で「中学受験は親の受験」という人に出会ったことはありません

 

この部分について少し考えてみたいと思います。

 

「中学受験は親の受験」とはなんぞや?

 

そもそも何をもって「中学受験は親の受験」と言っているのでしょうか?

 

これは主に高校受験や大学受験と比較していると考えています。

 

高校受験や大学受験は、受験するか否か、また受験校について「本人の意思が大部分を占める」という点が自分事の受験といわれる所以です。

 

一方で、中学受験については、塾に進学開始する時期が、

・精神が未発達とされる小学校低・中学年である点

・志望校や受験校について親の意思が介在する点

の2つがあり、受験するか否か及び進路について、高校受験や大学受験と比較して親の意思の介在度合いが大きいという点が相違点となります。

 

ここで注意したいのが、高校受験や大学受験であっても、経済的な面や地理的な条件から親の意思は少なからず介在しており、

0 or 100というわけではなく、中学受験と比較してあくまでもグラデーションの違いでしかないという点です。

 

・そもそも中学受験生自身が「親の受験」と思っていない理由

 

先ほど、自身が中学受験をした(正確に言うと難関校に進学した経験のある人)で「中学受験は親の受験」という人に出会ったことはありません。と記載しましたが、これはなぜでしょうか?

 

私が考えるに、そもそも中学受験の入試問題のレベルが「親から勉強を強制させられただけでできるレベルではない」ためです。

 

実際の小学6年生のこの時期の問題を見てもらえればわかります。

親でも基本は解けないです。

 

私自身も、最難関校の問題を制限時間内で解くのは相当難しいと考えています。東大卒でのその程度なので、通常はもっと困難だと思います。

 

もう親からやらされたでは太刀打ちできないほど問題レベルがあがり、個人の資質による成果しか出てこないのが昨今の入試問題です。

 

ですので、問題が解けないからと親が自責を負う必要は全くないと思っています。

 

 

・ではどうして中学受験は親の受験と言われているのか

 

そもそも中学受験が親の受験と言っている人々は

①中学受験を自身も含めて経験したことがない人々

②中学受験産業で生計を立てている人々

と言いました。

 

①については理由は単純で、親が子供に勉強さえさせれば問題が解けるようになるという、中学入試問題のレベルを無知ゆえになめているからです。

 

そして、②については、もっと罪深く、「親が勉強させれば子供は何処までも成績があがるとだますためである」と思っています。

 

もう昨今の入試レベルは相当上がっており、勉強特性がない子には最難関は相当厳しいレベルだと思っています。

 

だから私は言わせて頂きたい「中学受験は親の受験と言うのは」幻想であると。

 

ここまで子供のために送り迎えや弁当作り、そして授業料を払ってきた親御さんは十二分にその役目を果たしていると思っていいのではないでしょうか。

 

それでは~

 

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