朝方


目覚める前にみる夢。




妙に、現実的で


感覚も鮮明に残る。




時には


心震えるほどの


リアリティを持ち


涙して起きることもある。




それが夢であったことが


どうでもいいほど


私には、現実。


そう、現実でしかない。









そんなことが、たまにあります。




昨年の夢のこと。




その夢で体験した感覚は


今でも、私の気持ちに


ふわっと温かさを運んでくる。




自分からはぐれそうになるとき


この夢を思い出すようになった。





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私は息子を連れて


地下の通路らしき階段を降りている。




そこは、狭いながらも


人工的に造られた


人が日常的に使用する通路のよう。


各コロニー、各住居に繋がる通路だと思われる。  




8歳くらいだろうか…


現在の息子なのかどうかわからない。


私は、まだ幼い息子を連れて


地下に降りていくと


知り合いに出会う。




今の私はその人を知らないが


夢の私は知っている。

 



私は久しぶりの挨拶を交わし


誰かの居る場所を尋ねた。


その誰かも、今の私は知らない存在。


しかし、夢の私は知っている。




更に地下へ。


通路の途中、左手にある扉をあける。




そこは、日本家屋によくある和室だった。




和室の掃き出し窓は開け放たれ


その先には


暖かな日差しをうけた質素な庭があった。




そこに立つ、ひとりの男性。




私は、彼を確認すると


庭に面した縁側に座った。




息子は、庭に降り立ち


そこに生息する植物を眺めてまわった。




初めて息子をみた彼。




彼の中に流れた想いが


私の中にストレートに流れてきた。




-  この子は僕の子  -




途端に


とてつもなく


広くて温かいエネルギーが


はっきりと伝わってきた。




夢の中の私は


ある事情から


(母親からの反対や諸事情が絡んでいるよう)


彼とは別れ、息子を産み育ててきたよう。




彼は


"息子との間に私をはさんで"


私の隣にそっと座った。




その行為が


彼の人となりがあらわれていて


胸に来るものがあった。




そう、この優しさだ…




あらためて


彼の優しさを


味わうように感じた。




私たちに


ここまで会話はない。




すべてが伝わってくる。




言葉にしない分


とても濃密に


繊細な部分までが


浸透してくるようだった。




彼の息子への愛。


私への感謝。




彼が受けただろう理不尽。


それに抗うでもなく


じっと受け入れた懐の深さ。




その静かな決断は


このとき、実を結んだ。




そんな夢だった。





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今年に入って


ふと、私の中で確信したことがある。




それは


『人を大切にできるのは


自分を大切にしているから』




きっと、どこかのカレンダーなんかに


書かれていそうな言葉だけれど。




どうやらそうなんだろうね…


なんて、流しそうな言葉。




でも、そのときの私は


数式を一発で解いたかのように


その理由がハッキリわかったような気がした。




あれから


夢の彼の底知れない優しさに


ずっと魅了されていた。




私にはない優しさの答えを


求めてきたように思う。




その想いが


導いた答え。


今は、そう確信している。