そういえば。
昨年の3月には、沖縄に行っていたなぁ…
なんて思い出します。
一人旅が好きです。
旅の相棒はわたし。
旅中、わたしとの対話。
それが好きなのかも知れない。
自分と繋がる時間って。
普段の日常では、生活習慣や忙しさの中でかき消えてしまうことも多い。
一人旅だと、生活習慣を持ち込みにくいし、制限からも解放される。
沖縄に行って…
普段の日常で、この状態をつくれないかな?なんて思ったことを思い出した。
それは、ずーっと私の根底に流れている願望でした。
それには、"私が"私を解放することが必須なような気がしています。
いや、確信しています。
自分で自分の何を縛っているのかって気づきにくい。
それは切望しているからこそ、地道にコツコツと紐解いていけるものと思う。
あとの残りの人生の時間をつかって、コツコツやってみます。笑
意図的にそういう時間をつくったり、例えばヨガや瞑想の時間を設けてみたり。
それもありだけど。
意図せずに、生きている時間中がその時間。
つまり、本来の状態のまま。
自分と繋がっている、同一であるのが本来で。
その『本来に戻る』を
特定の時間だけでなく
これからの生きている時間中していきたいのです。
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最近、ウチのエブリイちゃん🚐を運転していて思い出すことがある。
知人の車に同乗させてもらい、とある場所に1泊し、翌日またその車で帰宅しようと乗り込んだ時でした。
車の雰囲気がとてもやわらかくて、軽い空気に包まれた。
車が動き出したとき、ハッキリと前日との違いを感じました。
瞬間、「違う!」と知人とふたりでビックリした。
なんというのか…
言葉で説明のしようがないのだけど。
感覚からいったら、表現が全然拙くなるのだけど…
滑り出すような動きといいますか。
摩擦を感じない。
その動きは、操縦されてモノとして動いているのではない。
車に、明らかに『意識と意志』があることを瞬間的に知ることとなったのでした。
これは、深いところで知っていたこと。
それを、普段使っている頭でも受け入れてしまったのでした。
…このことが最近、鮮明に思い出されています。
私が求めているものに、私が応えている。
そういう現象です。
なんだか、ちょっと鬱々してた最近。
この記事にも書いたけど
今を生きる。
この瞬間を生きる。
人生の時間は、この瞬間の連続。
その瞬間を生きることに一生懸命。
だから悩むことはない。
その瞬間瞬間、自分を生きる。
だから、自分と繋がっていることは大切。
今、私が私に「これがしたい」と望んでいるのは…
存在するものの中にある『意識と意志』を尊重することなんだと思う。
それは、自分を大切にするのと同じような心地良さを感じる。
きっと、他者を大切にすることは、自分を大切にするということなんだろう。
ただ、大切にするとは。
何かをしてあげるとか、相手のために役立とうとか。
そう意識して能動的に動くのではなくて。
『違いを認める』ってだけでいい気がする。
それだけ。
それだけ適ったら。
競争や戦争、不安や恐怖。
孤独もなくなると思うのです。
そんな社会は、自分がつくる。
残りの人生をつかって。
コツコツコツコツ…
自分の望む世界を自分がつくる。
学生運動で社会を変えようとした藤本敏夫さんという方がいる。
その後、学生運動を離れ、千葉県へ移り住み『鴨川自然大国』を設立。
あるべき姿を訴えるよりも、自らがその生き方を実践しようと方向転換したそう。
とても共感する。
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番外編含み、19記事ありました😅
よろしかったらどーぞ。