先日、母とのことを書きました。



母と会わなくなって、半年ほど経った頃。

息子が、私にこんなことを言いました。




「ばあばと会わなくて後悔しない?」




言葉を駆使して多くを語らない息子です。




ばあばも高齢で、何があってもおかしくない。

もし何かあった時に、会っておけばよかったと後悔しないか?

そういうことです。

そうなった時のことを思い、声をかけてくれたのだと思います。





∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴

以前から息子には、聞かれたら聞かれたことには嘘をつかずに話しています。

子どもに嘘なく話すことを敬遠する人もたくさんいるのはわかるけどね。

物事は善悪ではない。

息子も偏らないものの見方がベースにあるので、善悪でなく真実としてしか受け取らない。

彼は、彼自身が咀嚼して受け止めています。

それを受け止めたいという意思表示に応えます。

∴∵∴∵∴∵∴∵∴∵∴





その息子が、私に問いかけた。

そのことは、息子に問われる以前に自分に問うていたことでした。



結論は、後悔しない。

人間関係、特に親子関係は、自分の内面を見つめるには一番厳しいものだと思います。(親子関係で葛藤のある人ね)

厳しいからこそ、自分の内面に潜りこめば深層まで辿り着けるものと思います。

そこから見える景色は、私には解放という景色でした。



母と娘という関係から生まれた、互いの思い込みや習慣。

それは、気づけば、気づいた方から手放せるものでした。

私が、離さなかっただけ。

離せなかったというのが本当かな。

それには精神的依存があったと、今は自覚しています。

いつも、母と娘という関係でしか見れなかった。

だから、いつも私は子どもでした。



子どもをやめた私には、自分という人間だけが残りました。

私はどうしたいのか。

自由でいたつもりだったけど、親子関係については不自由極まりなかった。

初めて、この親子関係をどうしたいのか?という視点を持てたような気がする。



今まで、顔色を伺って気を使ってしていたことをやめることにしました。

我慢もやめました。

母との間でも、自分の精神が中庸であることを大切にしようと思います。




🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼




息子には…


後悔しないよ、きっと。

今回のことで、ママがばあばに依存してたことがわかったし、自分のことでよくわかったことがいろいろあったのね。

ばあばともそうだけど、人とどういう関係に居るのが自分にはベストかってこともわかった。

どこ見て決めたらいいのかもわかった。

だから、今はありがとうって思ってる。

そこで繋がっていたら、会う、会わないはあまり関係ないんだ。



息子は、「そっか、それならいい」と。

その話はそれでおしまい。笑


いつも、シンプル。

余計なものがない会話。





🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼🌼





記事、『母との関係の葛藤の末』にも書いたけど…


先日、母から電話がありました。

『会って謝りたい』という言葉に、『いやいや、そういうの大丈夫だから』と答えた。

正直いうと、まだ会いたくないってのもあったのよね。

平穏に穏やかに暮らしていたので、そのペースが崩れるのはNO!だった。

心がNO!って言うのさショック



その日、母が我が家に来ることはなかった。





その母から、昨日着信が。

今度はなんだ?と思いながら、何回も着信があるのも嫌なので出てみた。

仕事で打ち合わせ中と言えば、長電話にはならない。



この電話。

いつもの、勝手に不安要素を見つけて、それをどうしたら阻止できるかという相談だった。

まったく、いつもの相変わらずのパターン。

会わなくなって10ヶ月の期間が、ギュッと圧縮されて消え去ったような感覚。

笑ってしもうたニヤニヤ汗



要約すると、妹といとこの間で相談して決めてることに、それはないだろと母が口を出している状況。

そんなのどーでもいいじゃーんイヒ



「それぞれから聞かないとわからないから、妹と話してみる」ということで電話を切る。





妹と話してみた。

今回の母の言い分が云々よりも…

「この間、電話で謝ったからもうチャラなんだね〜」

と、妹は言う。

「私も笑ってしまったよ」




さて、その晩。

会社から帰ってきて夕食を作っていると、インターホンが鳴った。

だろうなと思った通り、母だった。

久しぶりに顔をみて、ザワッゲッソリとするのかと思ったら、そうでもなかった。



「いい?」

と言いながら、あがる気満々。

「夕食作ってるけどいい?」



ダイニングテーブルに座って、あーだこーだと話し始める母。

キッチンで夕飯を作りながら聞く私。

あまりに親子関係にな〜んにもなかったかのような距離の縮め方に笑ってしまってニヤニヤ

母に見えないように、背を向けてギョーザを焼いたおいで



ひと通り聞いて。



私の視点で見えることを話した。

私が言えることってなれば…


もし、息子と甥っ子が相談しあって決めた何かがあるのなら。

たとえ大丈夫か?と思えることでも、子どもたちが決めたようにやったらいいと思う。

それについて〇〇ちゃん(妹)と何か話すとしたら、「見守るしかないね〜」だね。


私にしたら、思ったようにやってみなよってだけ。

なんで、彼らの間に割って入るのかがわからない。



そう言うと。

「あたしは余計なことしてんのかな…」だって。



そうさ、余計なこと。

なんでわざわざ不安要素を見つけて、その不安を大きくするのかわからん。

こうなったらどうしよう?とか、そうならないようにどうしとこう、とか。

私からしたら、無駄な労力。

そんなことするより、ゆったり穏やかに暮らしたい。



ま、癖なんだろうね。

仕方ない。

ある意味、やりたくてやっていると思う。



人ってさ。

ホントに、それに嫌気が差さないとやめないものってあると思う。



なんかの記事で読んで、今も残っているのだけど。

嫌でもそれをやめないのは、そこに何らかのメリットがあるからやめないんだって。



そのメリットって見つけるの大変そう…

だって、自分ではやめたいって気持ちはあるんだもの。

まさか、やめたいのにそこにメリットなんてあるとは思えないからね。

見つけることができたら、自分史上の大発見だね目



でも、私はそういうの見つけたいなと思ってる。

もう我慢はしたくない。

要らん行為や、無駄な思考は取り除いて、スイスイ泳ぐように暮らしていきたい。





母はこう言っちゃあなんだけど、今風にいえば、なんちゃらとかいう精神疾患があるのかも知れない。

しっちゃかめっちゃかな時は、ホントにヤバい。



今の私は、即座に離れる。

離れることを自分に許可した。

その選択があることを知ったから。

それだけで、随分心は平穏になった。



スーパードライで協調性低めな私も、何らかの精神疾患があるのだろう。

それならそれで、自分なりの幸せの在り方があると思う。

みんな、それぞれの立ち位置で、それぞれの選択のもとに生きている。




誰かの選択にとやかく言うのはナンセンス!