学校に行かない。

つまり、就学しない。



もっと言えば、

『就学しない』のは、

『自由な自己形成』を選択したということ。



彼(下記の動画の方)が出会ったアーノ・シュテルン(Arno Stern)さんは、Malort(絵画の場)にて子どもたちに絵を描く場を設けていた。

教育されることなく、思うがままに感じるままに絵を描く。

そして、何を描いたかの説明を求めない。

そんなシュテルンさんの二人のお子さんは学校に行っていないという…




お子さんが学校に行かない選択をし、そしてその意思を受け止めた親御さん、または受け止めようと決心された親御さんに届くといいな。

もしかしたら、受け止めきれなくて苦しい方のなにかになれるかな…




学びってなんなのか。

生きるってなんなのか。



そして、『吾ただ足るを知る』の真実にふれたら…

生きるってたのしい。

生ある限り、たのしもうと思えるんじゃないかな。



また、動画を観終えたら、学校という存在にこだわらなくなってしまう人も多いのでは。



そこまでのお話しが聴けます。




馬馬馬馬馬馬馬馬馬




もうひとつの動画をご紹介。




子どもに望むことはなんだろう?

本心では、子どもにどう生きてほしいと望んでいるのか。



それは…

「本当は、自分はどのように生きていきたいのか」

だったのだな…って、息子が学校に行かなくなって気づいたっけ。笑






子どもにどうあってほしいか。

それは、自分が体現しないと通用しない。

嘘は、子どもはお見通しだと。



わかるよ。

私は母の嘘がわかる。笑

言いかえれば、本当もわかる。笑



動画の彼女は言う。

教え込みをしたくないのだと。

一側面しかない基準は与えたくない。

本質をありのままに、世界をみせたい、と。



答えが一つしかない世界に縛られ、苦しい体験を散々してきたから、私は息子にいろんなものを自分の目でみて、自分の感覚で選択して生きてほしい。

その自由があることを当然のように生きてほしい。

そして、私もそう生きる。

私が体現するのだ。




彼女はいう。

ひとり息子の彼とは対等な関係だと。

私も同じように感じていて、以前に記事にしています。


なんだか、どこかが癒やされていくようで嬉しかったのです。




対等で、仲間で。

そんな息子といろんな話しをするのは、この上なく愉しいひとときです。

ひとりの人間として。

そして、私と違う人間として。

私にない視点でのものの見方はとても新鮮!



そして。

わたしマル出しで家族に迷惑もかけるけど、面白いことに「めんどくせー」とは思っても、迷惑とは思ってないようで。

めんどくせーとは思ってるんだぁ…😅




そんな一日一日が、ゆったり流れてゆきます。





自分の思考が、視野が狭くなってるな…と思ったら、ご紹介した動画をご覧になるといいかも?と思い記事を書きました。

私もそんなとき、見返しますウインク