見えないから、ない。

 

感じられないから、ない。

 

観測できないから、ない。

 

と、されるもの。

 

 

 

科学的根拠や裏付けがないからと否定してしまうこれらを避けていると、私たちが存在するこの宇宙のことの99.9999…%は解らずじまいになってしまう。

 

この地球のことでさえ、なにを私たちは知っているのか?

 

 

 

知るにも及ばず、私たちは多くの思い込みに縛られている。

 

その思い込みは、自分の殻を守るため、自己保身のために自らが望んで纏っている防護服。

 

自分を守れれば、真実は要らない。

 

自分の意志も要らない。

 

このまま何もことを変えなければ、明日も今日と同じ明日が来る。

 

何かおかしいと思うことをやめ、違和感を押し潰し、この用意された社会に馴染む。

 

これを依存というのではあるまいか。

 

 

 

これでは一体、何のために生まれ、何のために生きているのだろう。

 

本当の自分を生きないで、人生を終えていく意味。

 

意味なんてなくてもいいのだろうけど、それを本当に望んでいるのか?

 

そういうことでさえ、自分と向き合う時間は持たない。

 

明日も今日と同じ明日を迎えたいのなら、真実は要らないのだから。

 

 

 

人間は変化を嫌う。

 

変わることを避けている自分に気づけるだろうか。

 

まずはそこから。

 

 

 

自分に都合のわるいことは、巧妙に嘘がつけるようになっている。

 

子どもの頃から、自分を守るために自分に嘘をついてきた人は多いだろう。

 

自分にその手の嘘をついていることにも気づけるだろうか。

 

 

 

 

 

本当は、なにが大切なのか。

 

 

 

 

 

それを示してくれている家族がいる。

 

私には、それが息子だった。

 

 

 

もう、自分に嘘はつかない。

 

そう意識した。

 

その意識と意志を持ってから、様々なものが見え始めた。

 

 

 

私という人間。

 

私のいる環境。

 

私に必要な体験。

 

私が望む生き方。

 

 

 

そして、手放すことが多くなった。

 

もう、今は不要だとわかる。

 

それが見えてきた。

 

 

 

 

 

 

私は、息子に感謝している。

 

 

 



 

 

私の方こそ。

 

心の友よ。