GW中、忙しかった
おウチの整理をしていました。
心地よい空間づくり。
気になる場所を整える。
押し入れ、クローゼット、食器棚、靴入れ、洗面下、引き出しのひとつひとつ、などなどなどなど・・・
不用品の選別をし、整理整頓をし、収納し、不用品の売却と処分。
その際に要らなくなったものには、今までの「ありがとう」を伝え、意識を向けられなかったものへ「ごめんなさい」を伝える。
ひとつひとつ手にして、心を通わす。
時間をかけて伝えたり、一瞬で終了のものもある。
どうやら時間ではないみたい。
そうやって、ものや空間を整えていきました。
そんなことが愉しい日々。
あぁ、私はずっとそんなことがしたかったんだな…
って思う。
結局、家中をやっているという
日常を豊かにしてくれる道具や機械、インテリアなどなど。
そのものたちの存在が、私が意識を向けられる数量と質でないことが、どうやら私の違和感だったみたい。
キャパオーバーになると、脳内がとっ散らかる。笑
静寂が宿るような空間が好き。
集中しやすい。
私、集中したいんだろうな。
片付いた空間が落ち着く人は、エンパスな人が多いらしい。
「えーっ、私エンパスではないな」と思っていたんだけど思い出したことがある。
🌼🌼🌼
同い年の双子の従兄弟がいる。
双子の兄ちゃんの方は、幼い頃から人には見えないものが見える。
伯母は、そういうことを忌み嫌っていたので、子どものそういった言動を否定していた。
母親に否定されていることと、日常的に見えたり話しかけられたりもして、訴えてくるものにふと入り込んでしまうことが嫌だと言っていたので、「そういうのを"もう見ない"って自分で強く決めたら見なくなるよ」って、私は答えたことがある。
🌼🌼🌼
それを言ってみて、過ったこと。
私は、そう決めたんだなって。
忘れてしまったけど、いつだったか子どもの頃に、もう見ないって決めて見なくなったんだなって。
見ないだけでなく、感じないようにした。
私の心が潰れそうになるようなことも感じないようにブロックした。
繊細過ぎて、入ってくる情報が私には多過ぎて対処しきれず生きづらかった。
無邪気と無防備では居られなかった。
以前に母が、「幼いアンタがじっと私を見たとき、すべてを見透かされているようで怖いと感じたことがある」と言われたことがある。
そんなことは今はない。
...はず。
エンパスの特徴を調べてみたら、「だからそれやめたんだってば」って項目が多かった。
自覚してたんだなぁ
だからと言って、まったくエンパスなケがなくなったわけでもない。
なんか感じると、パッと感覚の軸をズラす自分に気づいた。
大人になってからは、心地よい見えないものは自然に受け取っているようになった。
沖縄での旅を振り返ると合点が行くことがある。
振動波を察して受け取る選択をしている…
ように感じる。
そうそう。
もう一人の双子の弟の方は、オレは感じねーって言っていたけど、実は見えるし声かけられるんだと教えてくれた。
やっぱり、双子だなぁ…
兄ちゃんがバカ正直に、いちいち見えるだ聞こえるだ言って全否定されてるの見てたから、オレは言わなかっただけって。
彼は実に飄々と生きている。
そんな生き方が好きである。
エンパスだろうが、HSPだろうが、繊細だろうが、鈍感だろうが、自分の意志で変えられるものはあるかもしれない。
思い込みの枠を外していくのも、今の自分を受け入れていくのも、同じところにあるものなのかもしれない。
何事も決めつけず、飄々と生きたいものである。