痛手を負った数ヶ月。
ストレス食べの病を持つこの私がすっかり食が細くなり、か弱く日々を生き延びてきた。
ウチのP(パパの略)が心配して、毎日励ましのLineを送ってくれていた。
だが、最近それがない。
なもんで。
「私、もう大丈夫だと思う?」
と、送ってみた。
すると、
「カラオケ行きたい」だの
「キャンプ(((o(*゚▽゚*)o)))」だの
「あなたの本性がバレるクズ度診断」だの
送って来やがる
それらしいモン送って来たかと思いきや、前回の使い回しだったハア
どうやら、もう大丈夫らしい。
ウチのPが休みの日。
仕事帰りの私は通常営業で夕飯を作る。
手伝おうとするPではあるが、その行為がアウェー感からか主体的ではないため、要らない動きが多くイライラする
そこでウチのP。
「ねぇねぇ、よく''もう大丈夫だと思う?''なんて聞くよね」笑
そう!もう、か弱い私ではなくなっているのだ
P「可愛かったのに…」
食事中も、のんびりマイペースの、のほほん笑顔に突っ込みたくなる。
「アハハハ…俺がひと言いうと10倍で返ってくる、ぷんちゃん面白いね🤣」
暖簾に腕押しである。
でも、この性格に助けられた。
違うってことがありがたいと本気で思えた。
人生をともに生きる人。
Pがそういう存在だったと、今回、今更ながらに痛感したんです。
今ごろ…すまぬ
そういえば、就寝時に照明を消してからひとりになるのが嫌で、Pに私の部屋で寝てもらってた。(それぞれ個室持ち)
思えば、助けてと言ったら助けてくれていた。
ちょっと最近、邪険気味にしちゃってる。
今朝、Lineにて。
「私は私にしかなれないけど、大事に思ってる」
と、送りました。
以前から絵を描いていました。
こちらも最近、始めました。
乾燥中…
これは、以前作ったブックカバーたち。
こんな感じになります。
ほかに、写実的な表現も好き。
中学生の頃、カルチャークラブのボーイジョージの美しさに魅了され鉛筆デッサンを始めました。
おぉー懐かしい
描いていて、写実的に描くことは、そっくりに描くことではないと思いました。
被写体に対して私の感じている像というか、質…魅力として惹かれているものを表現できるとたのしくて。
あくまでも自分の感覚だけど、表現として現れたときには何かに静かに満たされる感があります。
そうそう。
NYの友人が、ボーイジョージのライブに行ってきたときのことを話してくれた。
歌も変わらず素晴らしく、そしてとても素敵な人らしい。
なかなかに波乱の人生をおくっている人だけど、困難や混乱、悲壮の中でなにを見つけるかが人生の本質。
私も、人生が終わるまでにできることなら会ってみたい