わにちゃんに誘ってもらって『海獣の子供』という映画を観て来ました。

 

以前に、気になってマンガの方をチェックしてたけど、そのうち日常の中で忘れてしまっていた。

 

今回、わにちゃんに誘ってもらい、私の華麗なる大ボケをカマしながらもニヤニヤ汗、またこの作品とご縁が結ばれたのは必然?と勝手に思っている。

 

それほどに、私の中から止め処なく湧き出てくる何かを感じて…そして、今もそれが続いているという…そんな作品。

 

というわけで、わにちゃんに感謝の念ギザギザ真顔を送りまくってます。

 

そして、カンちゃんにもギザギザ真顔

 

カンちゃんが記事にしてくれたことで実現しておりますお願い

 

 

 

 

この作品。

 

隕石が落ちるシーンがあるんだけど、このあたりから理解しようとしたらダメなやつだと思った。

 

自分の感性にすべて任せて。

 

海の波に委ねるって感覚だなと。

 

そんなふうに映画を観ていたら、途中から頬が濡れてるのに気づいた。

 

感情が揺さぶられたわけではまったくないので、この涙の意味もわからず。

 

わからないものは無理に追いかけないことにしている。

 

この現象。

 

映画の最後まで続いたのであった真顔

 

 

 

 

 

 

映画を観ながら・・・

 

私の中で、過去に体験したいくつものシーンが浮かんでは消えていった。

 

 

 

 

ダイビング中、ドルフィンキックで海の中を泳いだ。

 

このまま、どこまでも行けると思えた感覚。

 

そして、海の中から海面を見上げて空を感じるのが好きだった。

 

 

 

『In the Heart of the Sea』、邦題『白鯨との戦い』(←この題名どーよえー?)という映画で、巨大な白鯨と主人公のオーウェンが対峙するシーン。

 

白鯨の瞳がすべてを語った。

 

言葉ではないコトバ。

 

オーウェンは、かまえたヤスを下ろした。

 

私も白鯨の思いを一身に受け取ってしまって、ダーダー泣いた笑い泣き(←しかし、よく泣く)

 

 

 

屋久島へ縄文杉に会いに行ったとき、屋久鹿に鹿と人間いう区別をされずに、同じ生き物として受け入れてもらえたときの感動。(←コレも、もれなく泣いたえーん

 

 

 

ゴンドウクジラのプールで、ずっと私に何かを語り続けてくれたゴンちゃん。

 

言葉は通じなかったけど、ゴンちゃんの気持ちは通じて、しばらくプールの周りを一緒に散歩した。

 

 

 

そして。

 

宇宙から。

 

私が私であることに感謝を送ってくれたときのあの意識。

 

私の存在を祝福してくれている感覚。

 

「あぁ、私は私でいいんだ・・・」

 

宇宙は、ずーっとそうだったのに。

 

私が私を受け入れていないことの滑稽さ。

 

この出来事は、今も、私を自分の足で立たせてくれている。

 

 

 

 

 

 

大切なことは言葉にならない。

 

一番大切な約束は言葉では交わさない。

 

 

 

 

 

波波波波波波波波波波波波

 

 

 

 

 

すんません。

 

スピリチュアル系ブログと化しているなにやり

 

ただ、理解では到底知ることはできない世界は絶対的にあると思うのですよ。

 

理解では得られない、確かな感覚。

 

言葉では伝えたいことの半分も伝えられない。

 

意識同士のやり取りなら、そのままを伝えられる。

 

100の言葉もいらない。

 

ウソもいらない。

 

そのままの自分があればいい。