映画「パーフェクトデイズ」(PERFECTDAYS)、とても良かった。

トイレ清掃員の中高年男の日常を描いた、みたいに聞いていたから、そのあまりにも地味過ぎる素材に、食欲が湧かないというか、

何を期待すれば良いのかも見当がつかないなと、まるで期待せずに行ったのだったが、良い意味で期待を裏切られた。

 

昨日の土曜日に観に行って、初めて利用する映画館だったが、とても雰囲気も良かった。

で、今朝、この映画が良かったことについて、日曜日出勤のバイト先の同僚にあれこれと熱く語ってきたばかりで、結構それで語り尽くした感もあり、いざここでブログで語ろうとしても、ちょっとトーンがもう落ちちゃっている。

つくづく、物書きって、普段寡黙のほうが都合が良さそう、なんて思うわけ。

 

まあ、普段話し相手を持たない私ではあるが、しゃべる時は、と言うか、しゃべりたい気分の時は、相手が歓迎の反対のほうの顔していようがいまいが、そいつを捕まえて気の済むまで平気で語ったりするのもやっぱり私なわけで。

まあ、前から語っている通り、これほどお調子者な側面を併せ持つ自分だからこそ、こんな年まで、ここまでやって来られたのだろうなってマジで思うし。

 

お調子者とか、現金だとかと言うと、まあ、世間からはやっぱり叩かれてしまうわけだけど、でも私が思うに、かなりの才能だと。

現金って、調子が良い奴って言うの、すごく大事だとつくづく思うんだよね。

これがないとね‥。

このつくづくも大変な世の中、大変な人生、とてもではないが身が持たない。

「自分もそういう過ちしたりするよねぇ」

って思うミスを他人がして、そのせいで自分が迷惑をした時、嫌な思いをした時などに平気で、

「何て酷い奴だ」

って自分のことを棚に上げて言い放てるって、実は結構大事なのだ、と。

 

自分の醜さ、悪さ、浅ましさ、愚かさ等々。

そういうのを一つ一つ、反省して、自分磨きを続けていくのはもちろん大事だけど、いつもそうと言うわけでもなく、たまにはいろいろ過ちもしつつ、そんな時にそんな自分を許すこともできなければ、人生、やっぱり「持たない」だろうさね。

ほんと、しみじみと思うわ。

 

で、今回の映画の話だけど。

…話が脱線して、元来た道を二度と戻ることなくそのまま終わってしまうのが私のパターンではあるが、変えていかないとね。

で、映画。

 

この地味な素材を「魅せ」てしまうのだから、この外国人の映画監督、さすがにただモノではなかった。

まあ、後から思えば、役所広司氏をキャスティングしているところも絶妙だしな。

「笑い」に走れば、そこそこ商品価値が出るんだろうけど、この監督はそうはしなかった。

実際は、それとなく、このストーリーの醍醐味みたいなのを壊してしまわない程度に、必要最小限にコミカル要素も入ってはいるのだが、「笑い」に走って、ともかく観客から見捨てられないようにしよう、などといった邪道な真似は一切ない感じだ。

 

いや…、それにしてもしかし、こんな地味なストーリーでこれほど「魅せられる」映画なんて、こんな映画は初めてだと言い切れるだろう。

いや…、凄いモノに立ち合うことができ、実に幸運だった。

この日、ちょうど他に目を引くような映画もなかったし、映画以外の過ごし方で適当なものも見当たらなかったのだったが、今にして思えば、本当に良い巡り合わせでラッキーだった。

もしも他に気を引くイベント事とかあって、そっちに足を運んでいたら、大袈裟なようだが、この映画を劇場で観るという機会、あるいはこの映画を観る機会自体、ずっとそれ以降もなかったかもしれないし、そう思うと結構、恐怖だったり。

 

自分の既に得たはずの幸運が、もしも得られなかった場合なんて、当たり前のことながら、想定したくないものである。

私は実にレベルの高い両親の元に生れ落ちることができ幸せだったと今も信じている者であるが、もし別の親の元に生れ落ちていたら、なんて仮定しようとしても、そもそもまるで想像すらできないし、する気もないし。

さすがに空想を愛し、リスペクトする私ではあっても、その手の空想はあまりにキツ過ぎるな。

自分が既に得たことになっている幸い、恵みについては、得られなかった場合のことを考えるのは人間には無理とまで言えるのかどうかは知らぬが、少なくともこの私には無理である。

 

なかなか時間も金もない現在ではあるが、映画、やっぱり良いわ、だから映画、これからも定期的に楽しんで、味わっていきたい、なんて改めて思った次第である。