冬季オリンピックもあと少しか。
人生の明暗を目撃する場でもあるよね。
あんまりゆっくり鑑賞できてはいないが、ああ、こんな素晴らしい瞬間を目撃できたと、ただ生き永らえていられていることに改めて感謝したくなる瞬間もいくつかあった。
こういう、スポーツもそうだし、映画とか音楽もそうだろうけど、こういうのを味わう時間とか機会とかがもっともっと増えれば良いのに、と思う。
そうすれば、世界はもっと良くなるのかも。
そう言えば、最近どこかで誰かが言っていたな。
幾ら感動的なモノを見聞きしても、実生活に何の影響も出ない人の話。
…確かに、なあ、って思った。
せっかく感動的なモノ見たんだったら、もうちょっとその後のその言動に良い影響が出ても良さそうなものだが、全く影響しない人の話。
無論、私も偉そうなことを言えたものではない、と断っておきたいが、隣人に優しくなろうよって思わされるような温かいストーリーに涙した者が、翌日平気でイジメの加害者・傍観者になっていたりする、なんてことが普通に見られるのが現実。
こんな奴に感動的ストーリーとかを見聞きさせる意味は果たしてあるのか、と言う率直な疑問。
まあ、何て言うか、すごく都合の良いスイッチが付いているような人って、すごく心当たりが多い。
物語は物語、現実は現実っていう、実にあっさりとした切り替えスイッチ。
こういう類の人をおそらく世間は「大人」と呼んでいそうだが、私から言わせれば、「馬鹿」と書いて「おとな」と読むと言うのなら、納得だがな…。
まあ、その、弱肉強食だとか、長い物には巻かれよとか、郷に入りては郷に従えだとか、とにかく無理が無いように無理が無いようにと、生態系のメカニズムに身を任せていると言うことなのかと思うが、私のようなタイプの人から言わせると、無論、理屈は分かるが、まあ、動物的、アニマルレベル寄りの人もいれば、より理性的な、理想主義寄りの人もいて、その程度もマチマチということなんだろうが、それにしてもだ…。
ほんと、そんな人らに教育とか道徳とか、意味あるのかな、と。
ぶっちゃけ思うよな…。
まあ、そこらの議論って、普段の職場を見渡しても、常に思い知らされるところだわな。
どこもかしこも要領カマシ連中に支配されている感じで。
私などが出入りできる職場などは、ほんと、全くどうしようもない価値観と正義とが平然と支配していて、管理側も使われる側も、揃って思考停止した連中ばかり。
そんな世界の中で友人と作ったり、恋人を見つけたりするなど、私から言わせれば、無茶ぶりでしかない。
ただ、とりあえず、低所得層がうようよいる現状を見ていて、無論私も立派にその一員にはなるだろうが、それにしても下には下がいて、こういうの、失言・暴言と世間は喜んで指摘するのだろうが、それでも、転職を繰り返し、初老になってなお非正規のノースキル職場に出入りし続ける私ではあるが、そんな悲惨な経歴でありながら、今こうして結構マシな、個人的な見解の範囲で語ることではあるが、それなりの生活がそれでもできていると言うのは、我ながら大したものだと、密かに自分を褒めていたりする。
まあ、これはおそらく私の執念の為せるワザと言うか…。
世渡りできない、弱みだらけの身の上でありながら、小さい頃から培ってきた、半分は天性の、負けん気の強さであったり、努力を惜しまない気性であったり、親から譲り受けた、幾つかの素質であったり、積み重ねてきた素養であったりが、この身を何度も助けて、この背中を押して、それだけでなく、もちろん数はごくわずかだが、ごくたまに出会える「心ある人」との出会いもあり、ここまで生き延びて、そんじょそこらの低所得層の人らより、ちょっとマシな生活ができているのかなと、自己分析する。
まあ、ほんと、我ながらよくやっているなと、感服するところは少なくない。
後は、最近youtubeで視聴した生存本能の話。
私はおそらくこの生存本能が人より強い部類かな、と。
よくよく考えてみると、生きたい、死にたくない、という思いは、みんなおんなじくらいなんだろうなって、ずっと思っていたけど、確かに、意外なくらいに個人差があるのかもしれぬ。
でも、そのあたりの思いって、誰に直接教わるモノでもないのだろうな…。
人生の中で見聞きするモノを通して、自分なりに解釈して、獲得した思想、みたいなものなのかもしれんな。
誰だって、紙一重のところで生を拾った、九死に一生を得た、なんていう経験、一つや二つあったりすると思うが、そういう分かれ道に直面した時、やっぱりこの生存本能の強さによって、その結果は変わってきたりするだろうな。
どれだけ諦めずに命を守ろうとできるか。
こんなの、学校で教えるのは難しかろうしな。
トランプ大統領の関税が違法と最高裁で判断された、とか。
何を今頃言ってやがる…。
とっとと辞めさせろと言う話だが、いったんなっちまったら、よほどのことが無い限り、難しいらしいな。
よほどのことを起こしまくっとるはずだがな。
…バカか。
と、言いたい。
我国も政界の動きが慌ただしく落ち着かないし、あと、米だ、米。
なんで米騒動が起きない?
令和の米騒動。
煽ったな、なんて言われると困るけど、なぜこんなザマで支持率が高いのか、全くクレージーな世間だ。
しょうもないことには大騒ぎするくせに、なぜ米について大人しいのか。
米のことで騒ぐのはみっともない、なんていう深層心理が働いているとしたら、しょうもない恰好つけてるんじゃない、と叫びたい。
まったくそれにしても世論と言うのは適当で、イイ加減、デタラメとしか言いようがないな。
こんな連中に善悪を判断されたり、何かを指導されたりされていたんじゃ、たまらない。
最近、ふと立ち寄った神社で、お参りをしておいた。
賽銭60円では、逆に失礼でバチが当たりそうだが、ともかく家のことを、家族のことを祈っておいた。
父の願いは、なるべくなら、そりゃ、叶えてやりたい。
なるべくなら、な。
まあ、でも、自分らのことばかりじゃなく、そういう時って、世界のこと、みんなのことも願うべき、かもな。
別にいいじゃないか。
ヤな奴ばかりだが、世界がもう少し良くなりますようにと、初詣の時だけじゃなくてさ。
そういう願掛けができる人でいなけりゃなと、ちょっと思う、かな…。
この世界あってこその、この命、この人生、だからな。