クリスマス・イブの日記なので、季節のネタかな。


本業以外にも、年賀状を書いたり、掃除をしたり、すべきことは山のようにあるのですが、クリスマス・イブだから、クリスマス・イブらしいことをしようと思いまして。


以前から気になっていた映画『マリア』を観ようとして、福岡近郊の上映館と上映時間をチェック!


車で行けるトリアス久山のTOHOシネマズは、な、なんと、朝の9時15分の一回だけで時すでに遅し。

同居人と4時40分からもやっている北天神のKBCシネマに向う。(タイムマネジメントの悪さを反省。)


映画の上映中にお腹がすいてはと思い、モスバのチキンを一箱買う。


しかし、映画の内容に圧倒されたというか、やはり聖なる物語を目の前にしては、むしゃむしゃチキンは口にできませんでしたね。(匂いと音がしますし、食べてる場合じゃねえ!というか、引き込まれるというか。)


精霊によって神の子を身ごもるマリア。これが事実なのか、史実なのか、伝説なのか、これは、信仰の問題でもあるし、どう捉えるのかは個人の自由ですし、科学的風につっこめば、疑問なところは多々ありますけどね。


マリア自身も、恐れおののきつつ、お告げを信じて、神の子を宿し、生む。マリアは自らの肉体の変化によって、自らの純潔も、神の業も信じることができるけど、自らの妻となる女マリアが善良であることと神を信じる他には、何ら確かめる術がないのに、事態一般を受け入れて、マリアとイエスを守りきったヨハネは偉大だ。(英語ではヨハネはジョンなんだけど、ジョンだと軽く聴こえちゃうというか、犬の名前みたいな気がしちゃうけど。)


救世主ってのは、人々を救う使命と期待を負っていて、同時に、生まれ落ちた時から人々の罪の犠牲になることが運命づけられている。東方の博士が最後に『没薬(もつやく)』(死者を埋葬する時に塗る軟膏のようなものらしい)を差し出す際に言う台詞、幼子イエスの尊い犠牲のためにというコトバには、涙が溢れました。


星は何でも知っているのかどうか、良くわかんないですが、電気の光がない完全な夜の闇に瞬く星の光は、現代よりも相対的に大きな影響力があったに違いない。


東方の三人の博士(賢者)は、黄金やら香り高くて貴重な(であろう)乳香とか没薬を遠路はるばる献上できるぐらいであるから、リッチであるに違いない。星の運行を知り、予言ができる智恵(ノウハウ)というものは、誰にでも会得できるものではなかったのかもしれない。


360度の暗闇を照らす砂漠の星は美しいだろう。クリスマスに、イルミネーションってのは、本来の物語に反するというか、真逆な行いなんだと思うのですが、それはそれで、美しくはありますし、LEDの電球は省電力らしいですけど。モンゴルに帰りたくなった朝青龍の気持ちがわかるような気もしました。(私、割と朝青龍はスキなんですよね。彼を金銭と精神的に支えた細木数子も凄い人なんだろうなあと思っているけど、六占星術は読んだことがないので、自らが何星人なのか、知りません。)


これでHolidayは終わり。明日から、現実の雑用と戦おう。そして、覚えているのに、返しそびれている贈り物を贈るとしよう。