仲間とは何か。

今日はそんなことを考えた。(暇だったから)

まぁ、ある文章の影響なんだけども。

仲間って何なのだろう。

その文章には、居場所によってその呼び方が変わると書いてあった。

でも本質的なところは何一つとして変わらない、と。

それが家庭という場なら家族であり、学校ならば友達、など。

だが、ぶっちゃけ俺は家族に仲間意識など持ってない。

正直まだ初対面で得体の知れない相手の方がマシってくらいに。

学校の友達も微妙と言える。

度合いにもよると思うけど、俺の中では仲間とは結構重いものだと思う。

それこそ切っても切れないくらい強く結ばれている感じ。

でもそんなに執着するほど信頼している人物は少なくとも学校にはいない。

上辺だけの付き合い。きっと誰もがそう思ってるんだろうけど。

適当に笑い合って、適当に喧嘩して、適当に親友とか言って。

俺が見てきた限り、人間関係ってのはこの上なく醜い。

こういう経験、誰しもあると思うのだけど。

友達がコッソリ耳打ちするんだ。

『○○は実は嫌なヤツだ。だから関わらない方が良い』

みたいな。(こういうのが○○と言われたヤツの友達だと更に面白い)

中身は違っても、そういうことを言われたことはあると思う。

俺はだいたいそういうときは曖昧にお茶を濁すか、

機嫌が悪いときだったら『だから?』という問いを投げる。

本当にそいつのことが嫌なのなら一人で嫌っておけばいい。

愚痴を零すにしてもそいつとの関わり方についてまで干渉される謂れはない。

・・・少し話が脱線した。

つまり俺が言いたいのは、誰が何を言ってるか分からない、ということ。

隣人を愛せなんて言った偉い人がいるけど、隣人が自分を愛すとは限らない。

見返りとかそういう話をしているんじゃなくて。

疑ってしまうような脆い人間関係なんて築くだけ無駄だと思う。

楽しそうに笑って裏で何を考えているのか。自分のことをどう思っているのか。

そんな腹の探り合いをするのは決して仲間とは言えないだろう。

逆に、腹の中身を全部ぶちまけて怒鳴りあうくらいの覚悟はいると思う。

伝えようとしなければ伝わらないし、伝えなければ分かり合えない。

分からないヤツを信頼するなんて絶対無理だ。本音でぶつからないと。

だから俺は結構容赦なく言う。相手を少しでも思うなら言ってやる。

それは間違ってるんじゃねぇか、と。俺はこう思うんだけどお前はどうだよ、と。

そこで意見の食い違いが出たら互いに理解できるまで言い合う。

(まぁ、最近はそんなぶっちゃけ本音トークに付き合う奇特なヤツがいないが)

親になんて見離されてるし、友達は上辺だけ。

求めすぎなのか。俺がガキすぎるのか。仕方ないじゃん、寂しいんだ。

だから俺はホントの意味で仲間と呼べる人を探したいと思う。

俺が間違ったことしてたら殴ってでも止めてくれるような。

(あえて間違ったことをしても止めてくれないから最近エスカレートしている)


仲間についての考察終わり。

なんか最後は意味不明だったけど、何か伝われば嬉しいな。

最後にもう一つ書いとこう。これは俺への戒めの意味も込めて。


仲間と思うんだったら、何があっても信じてやれ。




たとえ其の身を引き裂かれても、微笑って抱き締めてやれ。