早いもので1週間が経ちました。
今回は夜8時には出発し、余裕のはずが
ミニポンも大きくなりました。去年は寝てましたが、起きてきました。
福島 どうなっちゃうのでしょうか。
美しいところです。津波の被害は少なかったようですが、ほぼ無傷に見えたのはここだけなのかな?
わがまちの観光資源とは何かが違う。
大川小学校 造花から本物のヒマワリに。
学校敷地向かいの場所で待つタクシーの近くに駐車した。
昨年は訳もわからなったであろうボウズも今年は違った。
昨年は工事関係者で賑わっていたお弁当屋さん 仮設からおしゃれなカフェに変身していた。
南三陸町をめざします。
傷跡は残るが昨年とは違う
南三陸町の鉄道のあった場所では、線路が撤去されガードレールが
商店街の隣に駅が出来ていた。 電車からバスへ変わったようだ。
昨年は逃したうに丼
どこのお店も、うに丼完売しましたの貼り紙が。 「あまちゃん」の影響か。
隣のステージでサンドイッチマンとU字工事が観衆を笑わせていた。
子どもたち念願のいくら丼 がないのでサケ親子丼にいくらをトッピング。
これまた念願のうに丼 とても上手かった。 2千円はお値打ち、こちらもうにトッピングしとけばよかったな。
燦々商店街横の合同庁舎も取り壊され 傷跡は見た目少なくなっている。
下道荘への時間も早かったので漁港へ。
そしてご馳走をいただき、皆元気を取り戻しました。
先週の今頃は北陸道を新潟目指して走ってました。

とても眠くて メガシャキの液体からガムから眠気ざましと妻に○ンタ(マッサージ)されながら
明け方4時に福島の磐梯山におりました。


心が痛みます。
このSAで1時間半眠り出発。 昨年爆睡していた妻はオラが心配で眠れなったようで
無口です。
それでも早く出発した甲斐あって、余裕があるので松島に寄ることにしました。
職場の先輩が第2の人生の地とした町です。
復興を志願し、昨年退職されました。
秋にも訪問する予定ですが、ちょっこしだけ見学です。

日本三景の一つ。 観光客で賑わっています。何事もなかったかのようです。


軽い気持ちでのぞいても そこそこ楽しめる。そのつもりならもっと楽しめる。
うまく表現できませんが
先輩と電話で話し、秋の再会を約束して松島を離れた。
向かった先は

波にさらわれた場所なのでしょうか。
このあたりもずいぶん復興へと工事が進められ、昨年と趣は変わってきているけど、感じるものがある
ぐっとが引き締まり、昨年と変わらない気持ちになります。

多くの車が学校近くに駐車していたが、車では入る気になれない。
トランクを空け、線香を探していると、タクシーの運転手さんがプリントを差し出してきた。
悲劇がまとめられたプリントだった。
検証委員会のコメントも混ぜてあったのか 知らないことも記されていた。
悔やまれるばかり。
児童や先生が波にさらわれた状況を話してくださり
「遠くからありがとうございます」と言われた。プリントをお返しオラたちもお礼を述べた。


小学校だけでなく、この下流の集落で亡くなった方々の慰霊碑が設けられていた。
ここまでの道中、昨年はなかった田が青々と稲が成長している姿。
昨年はナビにあるはずの道が通れなかったが、今年はナビに載っていない新しい道を走ることができた。
でも ここだけは変わらない。
児童や親の無念さを話しながらこの地を後にした。








唯一残っていると思われるお寿司屋さん前で30分待ち。
ステージ前の芸人さんがチラホラ

皆と一緒に復興への空気を感じたかったのですが
腹も減ったし、何より 今回の東北は暑かったのです。
車の社外温度計で35~37℃ 日陰から動く気がおきませんでした。

オラたちは

プラス500円でしたから。
宿へ向かう前に防災庁舎へ

防災庁舎も周囲が取り除かれ、ようすが変わっていた。
話は違うが妻と子がこの近くの川に イルカのような頭を見せて泳ぐ動物を目撃。
きっとアザラシだ。
数年前の南三陸の記事にアザラシネタがあるようだが。
もしそうならば、南三陸の皆さんに元気を与えてやってほしい。

海からみると案外近いのですね。
暑さに耐えながら小魚を眺めていると あっという間にチェックインできる時間に
増築された部分の新しい部屋へ通され、休んだ。
なんだか落ち着く。

昨年と何か違う感じも受けるけど
ここに住む方々が納得いく形で、復興が進められていること切に願った。
そうそう下道荘でぷしゅ~ としているとお師匠さまが雄勝にいるとメールが
お会いできるかなと期待したけど よく考えれば日曜日。
あの時間まであの場所に
妻とビックリしておりました。9月にお会いしましょう!
がんばれ東北。がんばれ南三陸。