7日朝、よい天気になりました。
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下道荘の部屋からの眺め 美しい眺めです。
 
ここから見える家々も津波に1階部分が浸かったそうです。
前日、飛騨で採れた野菜を送ったお返しにと、海産物をいただきました。
帰り間際の立ち話で、震災時のようすを話してくださいました。
ここのあたりでは、地震があったら津波が来る というのは皆さん知っているそうです。
下道荘のある集落は、避難所が高台にあるため、訓練からそこを目指していたのでよかったのだそうです。
 
水は井戸水を皆で使い、被害の小さかった下道荘さんの家に家を失くした方など14人で暮らしていたとのこと。
電気が復旧したのは2ヵ月後、まだまだ寒い季節、仙台にいる子が石油ストーブを届けてくれ、それで暖をとりと
目を赤くして話されました。
このあたりじゃ、皆、大切な誰かを津波で亡くされているのだと察しがつきました。
そしてここでも夢を見てるようなの言葉が。
 
また来たいと思いながら、下道荘さんとお別れ
前日、気になっていた災害支援センターを見に行く
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ボランティアの皆さんのものと思われるテント
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体育館の近くに設けられた災害支援センター
緑色のベストを着ている方々は、下道荘さんに泊まっていた方々。
考えさせられます・・・
 
今日は女川町→石巻→三陸自動車道→東北道→磐越道→北陸道→上信越道(妙高)の予定
女川を目指します。
南三陸町のがれき処理
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途中きれいな海が見られ
山中では
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学校と思われる廃墟
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そしてがれきの処理施設  コンクリを粉砕しているように見えた
 
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また学校と思われる建物
 
学校のような大きな建物を除き、流された? 解体された?
わからないが学校の廃墟が目についた。
そして、山のようながれき集積場の数々。
密集して立つ、仮設住宅の多さ。
草に隠れ目立たなくなっている住宅の基礎。
この光景を見た小2のボウズは、津波で町がなくなった と表現していた。
 
雄勝町の看板を確認し、女川町を目指すものの、海沿いの林道のような湾岸道路
1時間経っても、あまり進まない。嫁や子はずいぶん前からぐぅぐぅぐぅぐぅぐぅぐぅ
ここでナビを一番近い三陸道のインターチェンジ河北にセット。
 
ナビの指示どおりに走ると半島を一周して、
さっきも通ったよなと思いながら、家族が目覚めるなよと祈りながら
走ると大川小学校近くの交差点に出た。
行きと違う対岸を走りながらインターを目指す。
2時間ロスして、河北IC近くの道の駅で買い物をして、正午近くに三陸道に乗った。
皆、腹も減っていないということで、赤倉温泉の宿を目指す。
 
対向車線でシルバーの覆面パトが回転灯を収納するのを横目で見ながら、こちらは追い越し車線を
ひた走る。
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飛騨じゃ絶対見ることのないコーラゼロのトレーラにぼうず大喜び
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景色もみえないボウズはこうなり
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アルファのエアコンを知る子は、国産の行き過ぎた空調にこうなった(笑)
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ホテルから到着予定の確認電話が入る頃、赤倉温泉のなかを走っていた。17:30
 
宿の赤倉ホテルは、ベテラン従業員さんたちのすばらしい接客でとても豊かな時間を過ごせることができた。
今から思えば、利用者も落ち着い方々ばかりで、東北からのギャップも大きくなくてよかった。
温泉に入り、おいしい海の幸、山の幸をいただき、冬は賑わうであろう温泉街を歩き眠った。
 
スキー人口も減り、閉まっている建物も多かったが、冬はオープンするのかゴーストタウン化していない
ところがすごい。冬に来てみたいと思う赤倉温泉でした。