※本編、ネタバレ込みの記事になります。
※また、ジョエルファンにはキツイかもしれない文章で構成します。
予めご了承ください。
私は、今作の大きなテーマは「一緒」というキーワードが腑に落ちてますが、
それは表のテーマだと考えています。
ゲーム展開を含んだストーリー構成を考えると、
エリー/アビー を語る上では、これが一番Part2全体のバランスに合っています。
ですが、エリーを中心に物語を考え、
Part1からの、そしてその後のPart3を考えると、
これは実は「エリーがジョエルから解放される物語」という話でもあります。
ギターをここに置いていく…という演出でも、それを物語っている。
(ゲームとしてPart3が出るかは不明だけど、Part2以降のエリーのその後の人生はあることにはある)
私は、ジョエルが死んで「やった!!」とも少し思いました。
何故かというと、エリーがワクチン提供者になれる可能性が生まれたからです。
Part1のエリーは、自らの命を犠牲にしてまで、世界を救う「大義」(≒目標)を自ら背負っていた。
が…ジョエルが最後で邪魔をした。これは紛れもない事実であり、
エリーの「大義」(≒目標)を踏み潰したのである。
その後のエリーに果たして「生きる価値はあるのか…」
勿論ジョエルは「生きる価値があるから、助けた」という行動に出たのだが、
「大義」(≒目標)を失ったエリーは、果たして生きる価値があるのか…
エリー自身が、のうのうと生きれる唯一の心の拠り所は、
ジョエルの存在でしかなくなったわけである。(=生かされた)
「生きたくて生きているわけではない。」=「惰性で生きてる」というのが、
エリーの心の奥底にある思いだと私は感じています。
何故かというと、生きればいきるほど、感染者と接触し、そして下手をすると殺さなければならない。
「私がワクチンになっていれば…」とふと思うことがあるでしょう。
感染者は躊躇なく現れる…
生きている限り。
代わりにワクチンが出来ない限り。
その想いを拭うことは決してできず、それでもエリーは生きなければなりません。
その惰性の中で生きているから、
今回、ディーナとのレズビアンタイムが描写されたというのも私の中ではかなり合点のいくアプローチだと解釈しています。
(別に男とやってもいいのですが、男とやるというのは世間一般的発想なので、
生きていること自体に少し無意味さを感じているエリーを描くという点では、良い演出。)
「のうのうと生きているのはジョエルのせい。」
その沸々としていた感情、心の拠り所、怠慢、惰性を打ち砕くのがPart2。
ジョエルを殺すことにより、エリー自身の「生の価値すらも殺す」という、大胆な演出をノーティドッグはやってのけたのである。
勿論ジョエルファンが、阿鼻叫喚するのは無理もないだろうが、
悲観的な考えで留めておくのは非常にもったいない。
もう一つは、ジョエルが死んだことにより、
エリーがワクチン提供者としての道を選べるチャンスを獲得することが出来た。
という「人類」という大多数を守る為には、実は朗報になり得る出来事でもある事実。
故、その後のエリーの物語は、
このPart2があるからこそより深い人生を歩むことになるだろうと予感しております。
以上を踏まえて、その後のエリーの物語を妄想したいと思います。
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■Part3への想い(出るかはわかりませんが)
Part2により、エリー今後の選択を全て自身で決定することになります。
ジョエルを裏切ってワクチンになることも可能。という選択肢が生まれました。
エリーの「当初の願い」。
Part1での「OK」は、エリー自身に迷いがあった。
その迷いは、Part2の最後でようやく払拭し、(=大人としての成長)
「後悔のない選択を下せるエリー」に成長しているのがPart3のエリーだと予想してます。
ジョエルがエリーを助けるのに後悔が無かったのと同じで…
ジョエル≒エリーという形の構図となる。
その構図で、
次はワクチン提供が出来るシーンが来たら、
・ワクチンになるか(世界の人々を愛すか。)
・生きるか(ジョエルを愛すか。)
という選択を自ら行うことになるでしょう。
「生きるか」という選択肢は、ジョエルとのPart1~Part2の出来事があったからこそ発生する選択。
故、TLouが最後に終わる時は、マルチエンドになるんじゃないか。(=プレイヤーに選択させる)
という考え方ではいます。
あるいは、もう一つ案があって、
「もう一人ワクチン体質の子供が現れて、エリーと一緒に行動する。」
Part1のジョエルを今度は、エリー自身が行うことになる。
「それPart1やん」という人がいるかもしれませんが、
Part2があったからことそのPart1の破壊力があります。
そうです。エリーはジョエルの気持ちも分かるし、その子の気持ちも分かる。
という両方の理解者/実体験者であるというのは、
単純にジョエルの「エリーに生きて欲しい気持ち」とは一線を凌駕する感情が存在します。
ジョエルの気持ちも、その子の気持ちも、
理解できるエリーは、Part2より心が打ちのめされるかもしれません……
それでもなお打ちのめされない心を持っているエリーを描けたら、Part2の人生が活きてくると私は考えてます。
(「ジョエル…私はどうしたらいいの?」という弱音は少し出るかもしれませんね…)
こちらも、もしPart3で終わるなら、
マルチエンド採用してもいいかな。って思ってます。
ただしこちらは、
ワクチン提供者として
・エリー自身がなる。
・その子がなる。(勿論、その子の意思を尊重。Part1のエリーの時みたいに)
どちらを選択するかはプレイヤー次第。
(「逃げる」という選択肢は、Part1でやったから排除。マンネリ化は意味が無い。)
この選択肢ですと、どちらをとっても人類全体としてはハッピーエンド…
ですが、結局tlouの世界は、
犠牲無くして得るもの無し。というのもあるので、
Part1もPart2もクリア後の後味に「苦みが残る」終わり方なので、これがシリーズを完結させるにはベストかな~。
と思ってたりします。
(テーマではないにしろ、TLOUの世界観表現と密接に関わっていることから、
安易なハッピーエンドに辿り着くことは決してない。と考えております。)