今日はレビューについて書きたいと思います。
Amazonの低評価レビューを見に行ったのさ。
少しは参考になる低評価かなぁ~って思ったら…
酔っぱらいが何かに対して文句言ってるレベルの戯言があまりにも多すぎてビックリ、衝撃。😂
(西成のオッサンが独り言喋ってるレベルだった。(笑))
そうです。
「自分の好みに合わなかった」という「好み」レビューが散見されていました。
おいおい、嘘だろ?…と💦
せめて
「こうこうこういう意図は理解出来るが、自分の好みに合わなかっただから☆1」
という方がいるかと思ったんだが、軽く見た限りではいない…
なんていうか…最早、考えることを放棄して、感情だけで生きてきたような人間を見ている気がして仕方なかったです。
(俺が世界だ!
俺がジャイアンだ!!
俺がガンダムだ!!!みたいなw)
念のため、
高評価側のレビューを見に行くと、
ゲームの意図を読み解けている人が大半で、自分の好み/好みではない。という状況になってました。
よって、高評価側のレビューの方が圧倒的に上手であり、圧倒的に大人。
文章構成力も高かったです。👍
(高評価側も「好みだから。」程度のレビューだったらどうしようかと思いましたが、
理解されている方が非常に多く、こちらに関しても安堵出来る状態にありました。)
今日は、
この賛否両論がなぜ起きるのか。
について掘り下げて書こうと思います。
(※TLOU2の中身どうのこうのについては書かないよ。)
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何故、こうも差異が出てしまうのか。それは
「好み」(基本直感)で書く方と
「評論」(基本熟考)で書く方に分かれてしまうからです。
その関係性は、
ワインやお酒で例えると、
「好み」と「ソムリエ」の関係だと思ってます。
ワインには、
人それぞれの「好み」があります。
その「好み」については、好き嫌いがハッキリしており、嫌いなものは一切手をつけない。
それも1つの感想です。
(前作がサーロインステーキで、今作で納豆が出て来て…納豆食べれない人にとっては地獄絵図でしかありません。)
また、
他の人はその人に対して、イチイチ文句は言いませんよね?
(もっといい酒を飲め。とかパワハラ的一気飲みは除きます。😅)
しかし、
「ソムリエ」はどうでしょうか。
ソムリエはどんなワインでも、どんなに自分の好みに合わなかったワインでも、
自分の言葉で、そのワインの良点を見極め、評価することが出来ます。
ソムリエは自分の「好み」でワインの美味しい/美味しくないは決めない。
勿論、その評価の前には様々な知識や勉強、人生経験が必要となるでしょう。
だからこそ、全ての人間がソムリエになれるわけではない。
(また、例として納豆で語りますが、納豆の「栄養」に関して馬鹿にする方はいないと思います。
それはその方が「それを」を既知しているからであって、
栄養素を知らないものにとっては、納豆はただの発酵食品。という位置づけになってしまうことでしょう。)
「全員がなれない」
これが最大のキモであり、「好み」派と「評論」派が嫌でも分かれてしまう要因です。
(全ての人間が大学生になれるほどの知能を持っている訳では無いのと一緒です。)
皆さんは
「①好みのレビュー」と
「②評論のレビュー」どちらが質の高いのレビューだと思いますか?
どちらを取っても構いませんが、
必然的にレビューに品質差が発生するのは言わずもがな…ということです。
しかし、
そこにもまた参考する側の「好み」(or知識等)も絡んでくる為、
②が超絶優秀でも、必ず参考にされるとは限らないこともあります。
最早因縁とまで言えるこの関係性は、人間社会に一生付きまとう存在として、これからも火花を散らすでしょう😅
TLOU2 に関して、ワインで例えると、
超熟成された状態、コルクの味までワインに染み染み、
癖が強すぎて、後を引く濃厚さもしっかりと重みが続く。
人による好みがはっきり分かれるワイン。
でありながらも、合う合わないは別にして、人生のうちに飲む機会があるのなら、是非飲んでみて欲しいワイン。
と、評しますかね。😁
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それともう一つ…
Amazon さんだけでなく他の通販サイトに言いたいことは、
★は
「好みの星の数(概ね自由。短文でも可)」
と
「評論の星の数(運営側/販売側から、最低限の書かなければならない感想項目の提示。並びに運営側及び第三者で文章の精査あり。)」
で分けた方が良い。
と私は考えます。