もっと何かできたのではないか?と思ったり

イヤイヤ、限界だったと思ったり。

 

前にも書いたと思う。

親の反対を押し切って

好きな道を歩んだ弟だったが

激務がたたって身体を壊した。

内部障害4級の手帳保持者となった。

 

思うように仕事ができなくなり

経済的にも追い詰められ

親の援助も見込めなくなり。

 

私も夫の闘病中、義父の介護中。

弟の都合に合わせて動くことはできなかったし

経済的にも余裕はなかった。

 

私地方なら家賃や生活費も安く済むが

弟は都会を離れたがらなかった。

 

まだ60歳未満だと行政的にも何もしてもらえなかった。

 

電話も拒み

メールの返信も遅れがち。

 

何かできることはなかったか、と今も苦しい思いが湧き上がる。

 

ただ。

認知症なども無い、60歳未満。

本人が望み、助けを求めない限りどうにもならない。

助けを求められないことこそ病気のせいだ、と思っても

医師も「どうしようも無い」で終わってしまう。

 

私の地元で友人のつてを頼って

何とか入院の了承を得て迎えに行ったけれど

時すでに遅しだった。

 

後悔は果てし無い。

 

あの時、嫌がる弟とケンカになって

私が怪我でもして

警察沙汰になったら。

違った展開があっただろうか?

 

最後のメールが届いた日が近づくと

心が重い。

 

でもでもでも。

 

弟も嘘をついていたのだと思う。

「辛くなったら入院させてくれるかかりつけ医がいる」

その言葉に安心した私が馬鹿だったのか。

 

連絡用に渡しておいた携帯。

「重ねた物が崩れて下敷きになってる、体調が悪くて片付けるのはちょっと待ってほしい。」

それも嘘だったのか

部屋から携帯は見つからなかった。

捨てたのか無くしたのか。

基本料金は私が払い続けていたんだけどね。

 

考えてもどうしようもないのだけれど。

 

今はまだ親たちのことで気が張っているけれど

何もかも終わったら壊れるかもね。それでいいけれどね。