暑さ寒さも彼岸まで、というのは温暖化の今でもその通りなのだろう。

 

久々に庭仕事をしてみる。

 

草抜き、伸びすぎた枝の剪定、枯れた花の刈り取り。

 

同じことの繰り返しは飽きるし、日が当たるとさすがに暑い。

日陰を選んで移動して、抜いたり切ったり。

 

草抜きはともかく、初めて剪定した時は相当不安になった。

枯れたらどうしよう。

義母は既に亡くなって10年以上になる頃だったのに。

義父ももはや庭仕事は無理な体調だったのに。

ご近所からのクレームで、とにかく伸びすぎた枝を切りまくった。

その日は手が震えて箸がもてなかった。

 

今はそこまでドキドキはしない。

たとえ枯れても、もう誰からも怒られる心配はない。

そして庭木は皆丈夫で少々のことでは枯れないってわかった。

 

で、今、思う。

 

この木たちは別に私が好きで植えたんじゃない。

おそらく義父母があちこちの植木市なんかで買ってきたものだろう。

大きくなることを考慮されずにぎゅうぎゅう詰めになっているところもある。

植え替えるつもりだったのかな?でも場所の余裕はない。

 

勝手に生えた木もあるんだろう。どこからか運ばれた種から芽吹いたり。

 

義父母が元気なうちはそこそこ手を入れてたし

年に二回は植木屋さんも来ていた。

義母が亡くなって、義父が自分がやると言い出して、やがてできなくなって。

 

好きな木もある。でも好きでもない木を手入れしながらフト思う。

「何やってんだろう、私」

 

誰かに褒められるわけでもないし

むしろ近所迷惑にならないことだけを考えている。

 

もし自分の自由にできるとしたら?って考えてみる。

父の好きな白モクレン、母の好きな芝桜、私の好きな沈丁花、それらを植えてみたいな。

 

でも場所はない。

 

好きでもない木々の世話をする私。

虚しくなった。

私の人生、ぜ〜んぶこんなだなあ。

 

家庭菜園部分の端っこは花壇にしたけれど、じわじわ広げてみようかな。

 

庭仕事は気分転換にもなるし、考えを深める時間にもなるけれど

根本が揺らぎだしてしまった。

ただ、すべての木や石を処分するのはとても無理。お金がかかりすぎる。

好きなものだけ残すのはもっと難しいらしい。

土の中では根っこも絡み合っているからね。

 

できる範囲で

近所迷惑にならないように

自分の楽しみにもなるように

考えながらやるしかないなあ。