上京してから、早半年。
楽しい生活が待ってると思ってた。
上京の理由は、妹の障害と病気だけれど、家族で支えあっていけば、また楽しい生活が送れると思ってた。
7月の中旬、私がおかしくなった。
死にたくて仕方がなかった。
けど、家族はそれを許してはくれない。
当たり前のことかもしれないけれど、苦しい日々が続くことに耐えられなかったんだ。
私が、散々暴れ、おかしくなった次の日のことだった。
お母さんが、死のうとした。
泣きながら止めた。
もォ、死のうとしないから…
そォ言って止めた。
その場は、丸くおさまった。
次の日、お母さんは普通だったから、安心してた。
安心した、私が馬鹿だったんだ。
翌日、久しぶりに友だちと赤坂に行った。
お姉ちゃんと妹は、仕事に行き、家にお母さん1人になった。
赤坂で、みんなにお土産を買って帰ってる地下鉄の中だった。
珍しく、妹から電話がかかってきた。
「お母さんが、頭から血を流して倒れてる。薬も大量に飲んでるみたい。今、救急車は呼んだんだけど……」
血の気が引いた。
冷や汗がとめどなく流れだし、冷静にならなければ…と、妹に返事をした。
「もォすぐ帰り着くから、お母さんの保険証と薬のゴミを集めて、お母さんの頭を上にして、血が出ないように、タオルで抑えてて。お兄ちゃんとお姉ちゃんには、私が連絡するから」
そォ言って、電話を切り、お兄ちゃんとお姉ちゃんに連絡を入れた。
電車を降りて、走った。
念のため…
と、思い銀行へ行き、お金を握り締め、家に向かった。
救急車が到着していた。
少し安心しつつも、お母さんの様子を見るまでは、鼓動が治まることはなかった。
玄関が開いている。
救急隊員の方に、簡単に様子を聞いた。
お母さんの左顔は、血まみれだった。
「飲んでいる薬の量がかなり、多い。近くの小さな病院では、検査しきれないので、大きな病院へ連れて行きます。20歳以上の方が、同乗して下さい。」
「私が行きます」
そォ言って、妹には病院が分かったら連絡するから、タクシーでおいで。
と、お金を渡した。
救急車に乗り、お母さんの手を握り締めた。
私の手は震えが止まらなかった。
鼓動も止まらなかった。
我慢出来たのは、涙をこらえることだけだった。
病院に着き、どれくらい経ったのだろうか。
お兄ちゃんが、来た瞬間に我慢していた涙が溢れ出した。
「お兄ちゃん、ごめん。私のせいだ…」
それしか言えなかった。
妹、お姉ちゃんも到着したが、お母さんには、一向に会えなかった。
時間が長く感じた。
やっと、医者に呼ばれた。
お母さんは、ICUにいた。
沢山のチューブに繋がれていた。
涙はこらえた。
2・3日、お母さんはICUにいた。
退院後、かかりつけの病院へ行った。
即入院だった。
薬が抜けたら、鬱の状態になるだろう
とのことだった。
それから、2ヶ月間お母さんは、入院した。
お見舞いに行く度に、涙をこらえ、家に帰り、布団の中で泣いた。
誰に頼ればいぃのか分からないまま、苦しい2ヶ月が過ぎた今、お母さんは自宅療養となった。
今日もまだ、鬱と闘っているお母さんがいる。
それを支え切れない私がいる。
まだ、苦しい生活が続くのだろう。
楽しい生活が待ってると思ってた。
上京の理由は、妹の障害と病気だけれど、家族で支えあっていけば、また楽しい生活が送れると思ってた。
7月の中旬、私がおかしくなった。
死にたくて仕方がなかった。
けど、家族はそれを許してはくれない。
当たり前のことかもしれないけれど、苦しい日々が続くことに耐えられなかったんだ。
私が、散々暴れ、おかしくなった次の日のことだった。
お母さんが、死のうとした。
泣きながら止めた。
もォ、死のうとしないから…
そォ言って止めた。
その場は、丸くおさまった。
次の日、お母さんは普通だったから、安心してた。
安心した、私が馬鹿だったんだ。
翌日、久しぶりに友だちと赤坂に行った。
お姉ちゃんと妹は、仕事に行き、家にお母さん1人になった。
赤坂で、みんなにお土産を買って帰ってる地下鉄の中だった。
珍しく、妹から電話がかかってきた。
「お母さんが、頭から血を流して倒れてる。薬も大量に飲んでるみたい。今、救急車は呼んだんだけど……」
血の気が引いた。
冷や汗がとめどなく流れだし、冷静にならなければ…と、妹に返事をした。
「もォすぐ帰り着くから、お母さんの保険証と薬のゴミを集めて、お母さんの頭を上にして、血が出ないように、タオルで抑えてて。お兄ちゃんとお姉ちゃんには、私が連絡するから」
そォ言って、電話を切り、お兄ちゃんとお姉ちゃんに連絡を入れた。
電車を降りて、走った。
念のため…
と、思い銀行へ行き、お金を握り締め、家に向かった。
救急車が到着していた。
少し安心しつつも、お母さんの様子を見るまでは、鼓動が治まることはなかった。
玄関が開いている。
救急隊員の方に、簡単に様子を聞いた。
お母さんの左顔は、血まみれだった。
「飲んでいる薬の量がかなり、多い。近くの小さな病院では、検査しきれないので、大きな病院へ連れて行きます。20歳以上の方が、同乗して下さい。」
「私が行きます」
そォ言って、妹には病院が分かったら連絡するから、タクシーでおいで。
と、お金を渡した。
救急車に乗り、お母さんの手を握り締めた。
私の手は震えが止まらなかった。
鼓動も止まらなかった。
我慢出来たのは、涙をこらえることだけだった。
病院に着き、どれくらい経ったのだろうか。
お兄ちゃんが、来た瞬間に我慢していた涙が溢れ出した。
「お兄ちゃん、ごめん。私のせいだ…」
それしか言えなかった。
妹、お姉ちゃんも到着したが、お母さんには、一向に会えなかった。
時間が長く感じた。
やっと、医者に呼ばれた。
お母さんは、ICUにいた。
沢山のチューブに繋がれていた。
涙はこらえた。
2・3日、お母さんはICUにいた。
退院後、かかりつけの病院へ行った。
即入院だった。
薬が抜けたら、鬱の状態になるだろう
とのことだった。
それから、2ヶ月間お母さんは、入院した。
お見舞いに行く度に、涙をこらえ、家に帰り、布団の中で泣いた。
誰に頼ればいぃのか分からないまま、苦しい2ヶ月が過ぎた今、お母さんは自宅療養となった。
今日もまだ、鬱と闘っているお母さんがいる。
それを支え切れない私がいる。
まだ、苦しい生活が続くのだろう。