去年の7月の終わりの話。
鹿児島のあっつい日差しの中、隼人で店長をしていた時、短期スタッフを募集していた。
ちょうど、お姉ちゃんが体調を崩し、実家にいたので、声をかけたら、働くとゆうことで、来てくれた。
その日は、たまたま休みで久しぶりに、お姉ちゃんと沢山話した。
その時、涙が出た。
私には、隠されていた真実を話して来たんだ。
「シホがアスペルガー障害なんだって…」
その時の一言に、血の気が引き、鳥肌が立ち、冷や汗が出るのを感じた。
まさか、妹が剪定的障害者だったなんて……
信じられなかったが、アスペルガーの症状にピッタリ当てはまってた。
私も、19歳の時、パニック障害になり、今も不安障害と闘っている。
そんな私に話すと、症状が悪化するだろうと、お母さんとお姉ちゃんは、私に隠していたのだ。
1人ぢゃなかったことが幸い良かった。
お母さんとお姉ちゃんの想像は、当たっていて、話しを聞いているうちに、涙と過呼吸で苦しくなった。
それから、2ヶ月ぐらい経っただろうか。
京都の短大にいた妹が、お母さんにメール。
『もォ、誰とも関わりたくないからケータイ電源切るね。』
アスペルガーの怖いところは、二次障害。
病気に悩み、鬱などの精神的病気になりやすい。
まさに、妹はその状態だった。
お母さんも働いていたので、店に電話が掛かって来た。
その日は、ちょうどお姉ちゃんと2人で出勤の日だったんだ。
「今から京都に行ってくれない??」
その電話に、お姉ちゃんを行かせた。
そんな日々が何度となく続き……
お母さんが、東京に行こう。
と、言い出した。
何故、東京に??
妹が九州に帰って来れば………
そんな気持ちだった。
けど、妹は聞かなかったんだ。
「就職は東京でするから。九州なんて嫌いだから、嫌だ。」
そんな言われてしまえば、終わりだ。
いつ自殺するかも分からない、妹を1人京都には、置いておけないし、何度も自殺しようとして、家族が駆けつけている。
九州から京都へ。
費用は、馬鹿でかかった。
そこから、東京へ住む話は、どんどん進んで行った。
お姉ちゃんは、短期のバイトで雇ったから、12月に東京へ先に行き、お兄ちゃんの家に居候しながら、仕事と家を探した。
私には、何も出来なかった。
ただ、ひたすら毎日涙をこらえ、店長として、毎日出勤するだけだった。
家が決まる直前。
また、妹から自殺を予測させる連絡が、お姉ちゃんに行った。
体は、やせ細り、目は死んだ魚のようだったらしい。
お兄ちゃんも駆けつけ……
妹は、クリスマスに東京の病院に入院した。
心が痛かった。
何も出来ず、心配することしか出来なかった。
年明けの1月。
家の契約に東京へ行った。
私の貯金していたお金で、敷金を支払った。
初めて、役に立てたと思った。
お姉ちゃんが、引っ越し、お母さんが上京し、最後に私が上京した。
それから、半年。
更に、波乱の生活が待っているだなんて、考えてもいなかった…。
鹿児島のあっつい日差しの中、隼人で店長をしていた時、短期スタッフを募集していた。
ちょうど、お姉ちゃんが体調を崩し、実家にいたので、声をかけたら、働くとゆうことで、来てくれた。
その日は、たまたま休みで久しぶりに、お姉ちゃんと沢山話した。
その時、涙が出た。
私には、隠されていた真実を話して来たんだ。
「シホがアスペルガー障害なんだって…」
その時の一言に、血の気が引き、鳥肌が立ち、冷や汗が出るのを感じた。
まさか、妹が剪定的障害者だったなんて……
信じられなかったが、アスペルガーの症状にピッタリ当てはまってた。
私も、19歳の時、パニック障害になり、今も不安障害と闘っている。
そんな私に話すと、症状が悪化するだろうと、お母さんとお姉ちゃんは、私に隠していたのだ。
1人ぢゃなかったことが幸い良かった。
お母さんとお姉ちゃんの想像は、当たっていて、話しを聞いているうちに、涙と過呼吸で苦しくなった。
それから、2ヶ月ぐらい経っただろうか。
京都の短大にいた妹が、お母さんにメール。
『もォ、誰とも関わりたくないからケータイ電源切るね。』
アスペルガーの怖いところは、二次障害。
病気に悩み、鬱などの精神的病気になりやすい。
まさに、妹はその状態だった。
お母さんも働いていたので、店に電話が掛かって来た。
その日は、ちょうどお姉ちゃんと2人で出勤の日だったんだ。
「今から京都に行ってくれない??」
その電話に、お姉ちゃんを行かせた。
そんな日々が何度となく続き……
お母さんが、東京に行こう。
と、言い出した。
何故、東京に??
妹が九州に帰って来れば………
そんな気持ちだった。
けど、妹は聞かなかったんだ。
「就職は東京でするから。九州なんて嫌いだから、嫌だ。」
そんな言われてしまえば、終わりだ。
いつ自殺するかも分からない、妹を1人京都には、置いておけないし、何度も自殺しようとして、家族が駆けつけている。
九州から京都へ。
費用は、馬鹿でかかった。
そこから、東京へ住む話は、どんどん進んで行った。
お姉ちゃんは、短期のバイトで雇ったから、12月に東京へ先に行き、お兄ちゃんの家に居候しながら、仕事と家を探した。
私には、何も出来なかった。
ただ、ひたすら毎日涙をこらえ、店長として、毎日出勤するだけだった。
家が決まる直前。
また、妹から自殺を予測させる連絡が、お姉ちゃんに行った。
体は、やせ細り、目は死んだ魚のようだったらしい。
お兄ちゃんも駆けつけ……
妹は、クリスマスに東京の病院に入院した。
心が痛かった。
何も出来ず、心配することしか出来なかった。
年明けの1月。
家の契約に東京へ行った。
私の貯金していたお金で、敷金を支払った。
初めて、役に立てたと思った。
お姉ちゃんが、引っ越し、お母さんが上京し、最後に私が上京した。
それから、半年。
更に、波乱の生活が待っているだなんて、考えてもいなかった…。