お元気ですか。
今朝、大学の駐車場で教授と思われる年配の方に
Nice car!
と言われました。
私が今運転している車は99Honda Accordです。
隣の車は新型ベンツ。
でもどう見ても私の車をマジマジと見てウットリしてました。
ああ、びっくりした。
恐らくその方も以前同じのを運転してて懐かしかったのではないかと。
それかあまりにも私のがオンボロで感動したのですか?
彼が運転してたのはトヨタのプリウス(でいいのかな)。
私の今の車は4台目。
わずか7年の間に車を4台も所有しています。
一台一台ゆっくりと話す価値があります。
今日はまずその一台目についてお話しようと思います。
「BOBOKO、車いらない?500ドル!」
2002年だったかな。免許を取って(免許取りのお話はコチラ )半年もたたない頃だったと思う。冬休み中、日本に一時帰国していた私は、ペンシルバニアのお友達からそんなメールが来た。
そのお友達のお友達が車の引き取り手を探していると言う。急を要しているので超お買い得値段で売っていると聞く。日本人間で起きている話だったので、信用もある。
「車は91年のHyundaiだけど状態はいい。ガスゲージが壊れているけど。10万マイル(16万キロ)越えているけど。」
と車に詳しいそのお友達は
「寿命が近づいているけど、短期間なら大丈夫。元は取れる。」と勧めていた。
写真を見た感じ確かに良さそうだった。
実はもう年代とモデルを忘れてしまった。
確か91年だったと思う。93年かな。。。95年。。。ではないな。
私が住んでいたところはペンシルバニアの田舎だったので、車がないとかなり不便だった。バスは1時間1本。バス停まで行くのに20分はかかる。その時は学校まで徒歩2、30分のところに住んでいた。非常に魅力的なお話。
しかし、あの時の私は500ドルも失うことが怖かった。極貧(極貧話はコチラ )を間近にしていたのでかなりの大金が消えることになる。う~む。。。
「買ってみていらないと思ったら売るといいよ。今調べたら市場価格は2000ドルだってよ。」
よし、決断。
「じゃ、買います。」
日本とアメリカ間のやり取りで、見たこともない車を会ったこともない人から買い取ることにした。私がペンシルバニアに戻る頃には友達もその車の主も日本に帰国してしまうので、なかなか手続きが面倒だったが、何とか成立。
最後に
「車はBOBOKOの住んでいる家に駐車しました。可愛がってあげてね。」
と言う写真付のメールを頂き、私は自分の第一号に会うのをとても楽しみにしていた。
マニュアルだった。
もう、びっっっっっくりですよ。
どうやって運転するんですか。
免許取りたての私にペダル3つ、ギア二つの意味が分かるわけがない。
よって車はたまに中に入って運転するフリをするだけで、しばらく時は過ぎていった。何がきっかけだったか忘れたけれど、ある時突然エンジンの掛け方が分かり、そこから私の自主練生活が始まった。
よって私のマニュアル運転はかなり自己流です。
毎日一人であーでもない、こーでもない、と色々と試しているうちに少しずつ覚えて言ったのだ。
1週間で前に進むことを覚え、2週間でスピード上げる方法が分かり、坂道発進は1ヶ月ほど掛かったかもしれない。
人に聞かずに自分で答えを見つけることが好きな私は、数々の失敗を繰り返しながらマニュアル運転を覚えた。
フカシまくりのブルンブルン言う運転をしばらくしていたと思う。
勿論、途中のエンストはお約束。
しかもガスゲージが壊れていたので、ガソリンがどれくらいあるのか分からず、見極め方のコツを持ち主からは教えてもらっていたが、エンストフカシの私は相当な勢いでガソリンの無駄遣いをしていたらしく、予想を遥かに上回るペースでガソリンが消えていった。
坂道の途中でガス欠。
怖かったなぁ~~~。
車がものすごい勢いで後ろに下がっていったんだもの。
その時に、車を上下に振れば(トランクのところを全体重をのせて押す!)少しはエンジンが掛かるということも覚えた。
運転に慣れてからは、たまに友達とドライブに行ったり、前まではお金がなくて行けなかった4,5時間先の学会にも日帰りで行けるようになり、ものすごく世界が広がった気分だった。
しかし、新しい車ではない。扉に少し錆びがあったし、買ってから半年もしないうちに、他にも色々と怪しい面が出始め、そろそろ限界なのかなという兆しが出ていた。
ペンシルバニアの冬は厳しい。雪も良く振るので、除雪車が良く石灰をばら撒く。その石灰によって愛車の錆びはよりエスカレートしていった。
運転に大分慣れた頃、何日か大雨が続いていたが、素晴らしい快晴に恵まれて、友達と雨上がりの山の景色を見に行こうということになった。
山道を走っていたら大雨の名残でところどころに大きな水溜りに出くわした。かわせない程の巨大なのに出くわし、仕方ないのでそのまま突進。
「水!水!水出てるよ!!!」
助手席に座っていた友達が足を上げて発狂。
床下浸水。
助手席の底に大きな穴が開いていた。
底にも錆びがあり、絨毯がなかったら痩せている人ならそのまま落ちてしまいそうな程の大きさだ。どんどん大きくなっていったふしがある。どうりで暖房効かせても寒かったわけだ(冬)。
なかなか濃い関係を築いた車を手放すのはとても寂しかったが、車の底に穴が開いていることがどれだけ危険なことかを友達から聞いていたので、夏休みに入ったら車を廃車にすることを決心していた。
そして、いよいよ夏。手放す時期がやってきた。
夏の初めに処理すれば良かったものの、どうにも名残惜しくてサヨナラが出来ず、夏の終わりにすることを決め、親の住んでいるミズーリに出かけていった(飛行機で)。その間、友達に車のお世話をしてもらうことを条件に貸すことに。
ミズーリに到着したその夜、車を貸した友達からお電話が。
「BOBOKOちゃん、落ち着いて聞いてください。」
彼の神妙な声に「やられた。」と思った私。すぐに何が起きたか分かった。
私の車でドライブに出かけていた友達が居眠り運転をしたトラックの運ちゃんに後ろから追突された。渋滞での追突だったので、後ろから静かに静かに車が潰されたらしい。
運転席と助手席にいたお友達は警察がくるまで車の中でスタック。窓ガラスを外から割ってもらえないと出れなかったそう。
幸い怪我人なし。車は大破。全責任はトラックの運ちゃん。
私は1300ドル手に入った。
500ドルで購入した車。持っていた間、一度も修理に出したことがないので、掛かったお金はオイル交換とガソリン代だけ。廃車にしようと思っていた。
「廃車にしよう。」と言っていたのを車が聞いていたのかもしれない。充実した晩年(?)を送ったんだと思いたい。
2002年に出会い2003年に別れた。
ちゃんと有難うとサヨナラが出来なかったことだけが悔やまれる。
それから次の車が手に入るのは半年後。
次の奴はマジすごいから。
これよりすごいってどんなのでしょうね。