新しく何かを始めるに 年齢は関係ない。3歳からスポーツや楽器を始める子供 80過ぎてスマホを手にする人もいる
テストです
今日この頃の私の生き方です あわてず 怒らず 嘆かず そこそこに 生きればそれで良い
長く電話で話をした時 長く人と会話をしたとき 長くパソコンを使ったとき 何かにイライラしたとき そんな時に 胸がざわざわして 「救心」や「ニトロ」の世話になりました 昨年の6月以降 そんなことは ありません 感謝 感謝です
長年 心臓について研究されてきた東北大学の教授が2024年6月に本を出版されましたたまたま新聞広告で見た私はすぐに書店で買い求めました 内容は 毎日簡単にできる 「散歩」「片足立ち」「スクワット」そして「食べ物」でした私は それに自己流の「朝 目覚めたとき」と「夜 眠る前」「きずいたとき」に 手の指を「グー パー」を5回ずつすることにしてます 以上のことを 毎日することで 今は全く元気です この「心臓リハビリ」は 心臓の弱っていない人にもオススメです
バブルの頃 私は心臓を悪くした手術はせず 毎食後と寝る前の薬 そして 昨年の6月から始めた「心臓リハビリ」のおかげで 今 生かされている6月以降 「救心」や「ニトロ」の世話になっていない これには 妻も驚いている 「心臓リハビリ」については 次回に
今年の 生き方を 考えてみた
12月と1月今日までに 知人 友人が3人亡くなった ただただ悲しい 寂しい
前回紹介した「文藝かが」は 健さん本人へも送りました そして ファンクラブへも送りました それが 2009年1月号に 「健さん情報」1月号に私の手紙と共に掲載されました
私は地元 石川県加賀市の市民の文芸誌「文藝かが」に投稿していました 2007年の第14号に随筆部門に投稿した「近くの健さん」が入選しました 大好きな健さんのことを書いたものですこの話 つつ”きます
これは 2008年2月の健さんの誕生日に 本を送ってサインをお願いしたものです 送られてきた包装紙は 今までに見たことのないものでしたいつもながらの気つ”かいに 感激しました
この本は2006年に発行されました 定価3500円の豪華な本です私は2007年2月 健さんの誕生日に合わせて この本と銘菓を送り サインをお願いしました 間もなく送られてきた本にサインは無く 手紙と写真が添えられてありました 「デザインを損なわないように」と 写真にサインをし それを写真に撮ったものを送ってくれました 相変わらずの気配りに 感謝 でした
前回のサインは1991年に頂いたものです今回は 2003年にいただきました 「恵存」とは 「お手元に保存していただければ幸いです」と言う意味で 自分の著書を送るときに 相手の名前の隣りに添える言葉だそうです相変わらず 健さんらしいと感激しました まだまだあります
私は色紙に健さんのサインを頂くのではなく 著書にいただくことを考えました 本の感想文とサインのお願いの手紙を書きました 間もなく ていねいに送られてきました まだまだあります
ファンクラブに入っているので 健さんの住所を知ることができました 毎年 2月の誕生日にお祝いの言葉と当地の銘菓を送りました健さんからは 毎年必ずご丁寧な礼状が送られてきました お人柄が偲ばれました
ファンクラブの会報「健さん情報」は 大阪のファンが不定期に発行してました」 私は 入会してから廃止になるまでの4年間に8冊受け取りました毎回 健さん本人からの手紙と出演映画のことなど 1冊に8から10ページあり 楽しく読ませていただきました
バブル崩壊後 私達は東京から石川県加賀市に移りました私は数年旅館で営業をしたのち たこ焼き屋を始め 60歳からパソコンを買いヤフオクとブログを始めました 健さん公認のファンクラブに すぐ入会しました関係者によると 発会式は健さんを招き 京都の映画館で盛大に行われたそうです そして会員番号1番のカードを渡されたそうです私と健さんの 自称「お付き合い」はここから始まりました 会則には「1日にコーヒーを必ず3杯以上飲み」とあります
1980年 健さんから「長山」の女将さんが貰った手紙です 万年筆のインクも薄れています内容は「遥かなる山の呼び声」が完成したので券を送ります というものです 女将さんは 私が健さんのファンだと知ってたので妻にくれました当時 私は「長山グループ」の本社ビルにある「ホテルながやま」の東京案内所に 妻は銀座の「割烹」に勤務してました 長山は銀座にクラブも経営し 女将さんは芸能界に知人の多い人でした勿論 映画は観ました
1778年に健さんと薬師丸ひろ子さん主演の映画「野性の証明」が公開されました 石川県金沢市でのロケの際 健さんと薬師丸さん母子は 東京に本社のある「長山グループ」の片山津温泉「ホテルながやま」の特別室「迎賓館」に数日滞在しました そのときの客室係が 私の妻でした 当時 いろんな話を聞きましたが 今でも忘れられないのが 「コーヒーはブラックで飲むものだ」 です以来 私はずっとそうしてます 健さんの思い出はまだまだあります
この10月に私は満81歳になる 学生時代 京都の河原町の有名な飲食店でバイトをしてた時 先輩に連れられて 「健さん」の映画をよく見に行きました当時は入れ替えも無く 通路も満員でした 観客からは拍手や「いいぞ健さん」とか「健さん うしろ」など賑やかでした ほとんどが任侠もの いわゆるヤクザ映画だが そこから私もハマっていきました写真は 手持ちの貴重なビデオテープの一部です