うさちゃん
13日の朝に亡くなりました…

11日の夜11時からかなり苦しむ感じがあり、もう最後の時が来たのだなと覚悟を決めてそばにいましたが朝になっても逝けないままで…

翌朝、病院の先生と電話相談しながら早く来てもらえる代理店の方にお願いし、12日の昼に酸素室を自宅に置きました

酸素室に入ってからは呼吸の速さはマシになりましたので、あー良かった少しでも楽に逝けるかもしれないと、その日も覚悟していましたが、まだ逝けない上にまた夜中に呼吸が早くなり…
こんな状況が続いてしまうなんてどれだけ辛いだろか考えて泣けて泣けて本当にもう頑張らなくて良いよ

もう良いんだよって、身体をさすりながら伝えていました…

一晩ずっと考えて、2日にわたりこんなに呼吸が苦しく、酸素室でも苦しくなるなんて耐えてるうさちゃんを見て
もう翌朝に安楽死をしてもらおうと考えていました

13日病院に電話し安楽死を考えたいと伝えました
実は12日の電話でも、先生には伝えていました
こんな状態が続いてしまうなら安楽死を考えていますと…
先生も、ここまで家族として毎日管理しながら心筋症、腎不全と向き合う姿を見てきた事

うさちゃん自身も十分すぎる位頑張ってきたから
それは私もご協力させてもらうから考えが決まったらおっしゃって下さいと言ってくださっていたので

電話に出た看護士さんに、安楽死をお願いしたいと先生に伝えて欲しいと言いました

そしたら、先生が緊急処置しているから30分後にかけ直してと言われて…

そのあと、姉に安楽死するわと電話しました

なぜなら、私も何が正解か分からないし、安楽死が良いのか悪いのかどうしたら良いのか

苦しむこの子をどうしたら楽にしてあげられるのか頭の中でぐるぐるしていて、姉に背中を押して欲しかったんです…

そしたらね、姉と話し始めてすぐに呼吸が緩やかになり液体を吐いたのです
電話を切り、すぐに抱き上げました
もう最後の時が来たと思ったからです…

案の定、すぐに大きな声で鳴き
心臓はとまりました…

心臓が止まった後、足が何回か動き口が動き
最後に手を顔の方に動かして力尽きました…

自宅の部屋で、私の膝で逝けました
良かった…
よく頑張ったね、ごめんねありがとう
ってずっとずっとあんな呼吸が苦しい中
本当に強すぎる…
うさちゃんはすごいね…

って声かけながら、時間がしばらく経つまで
私も力が抜けたままでしばらく呆然としていましたが…

何というか、やっと苦しみから解放されたんやなって2日しんどい中役に立たない私でごめんねって…
ありがとう、頑張ったね、強かったね
って言葉をかけながら泣いてしまいました

辛かった、苦しい子をどうしたらよかったのか、もっと早く安楽死を決意してあげたら
良かったのかとか…

でも自宅で自分の部屋でいつもの場所である私の膝で逝けてよかったと言う気持ちでした

後悔や悔やんだり、あの時こうしていれば
あの時あれをしなければとか…
何もかもが難しくて悩んで考えても難しいですね…

でも、この子は家で私の膝で逝く事を決めてくれたのかなと思いました…

安楽死については賛否あるし、私もまだまだ悩んだままでした
ただただ息苦しいあの子をなんとか楽にしてあげたい
こんな苦しい状態が何日も続くのら私なら耐えられないと言う気持ちが、病院に電話をした私の決意だったのだと思います

母を癌で亡くしたのですが、母の時もそうでした
痛みや苦しみから解放してあげたい

私のエゴだけど、大切な存在だからこそ、苦しい痛いがずーっと続くなんて辛すぎて…

心筋症があるから苦しむ時間も長いかもしれないと先生には言われました

覚悟していましたが、2日も…
でんなに辛かっただろうか…私は何もしてあげられなかった…

最後の亡くなる前の日、うさちゃんが酸素室から私を見ている顔が愛おしくて愛おしくて

ずっと脳裏にあります
可愛い可愛いフワフワの子でした

ずっと側にいてくれる私を信じていつも近くや膝でコロンと寝ている子でした

一緒の部屋の子と運動会する時は凄い早く走るしジャンプも凄いし、運動神経も抜群で

可愛い可愛い子でした

亡くなった日は丁度日曜日でしたので、姉や甥っ子達も会いに来てお別れしていました

うさちゃんは保護時すでに成猫でした
病院も頻繁に行くような子でしたが、うちに来て約11年だから長いんですよね

姉も甥っ子も実家に来た時はうさちゃんにブラッシングしたりしていたから
寂しそうにしていました…
寂しいです、私も…

うさちゃんの事応援してくださった方、ありがとうございました