神社やお寺に行くと私たちは手を合わせます。

 

 

   それは、神様、仏様が全部私たちのことを見てくださっているから、

 

 

   全部私たちのことを知ってくださっているからだろうと思います。

 

 

 

   そう思うことが大きな救いの力となるのです。

 

 

 

   坐禅の狙いは大慈、大悲といいますが、

 

 

   それこそ自己の心の鏡を磨いて目の前の人の

 

 

   わずかな苦しみや悩みを察してあげることであります。

 

 

 

   そこにこの人を「なんとかしてあげよう」とか

 

 

   「どうにかしてあげよう」とか自分の考えが交じると、

 

 

   かえってその人を行き詰まらせてしまいかねません。

 

 

 

   それより、自分の心を何でも映し出す眼鏡のようにして、

 

 

   その人のことをよくわかってあげることが大事であります。

 

 

   それが一番の慈悲なのではないかと思います。

 

 

 

   円覚寺居士林 編集

   「いろはにほへと ― 鎌倉円覚寺 横田南嶺管長 ある日の法話より」