Q.一度でいいから冒険してみたいことある?
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その1…
→冒険家といえば、やはりこの方…
堀江謙一氏・御年85歳とのこと…
流石ですな…
お疲れ様です
放浪するブロガー
bobbyです
自宅療養生活(実家介護生活)?日目
記念日ブログでございます
台風10号接近…
今、実家にいるんですけど
朝からやたらと「避難指示」のメールが
来ておりまして…
ただ、自分がいる所は対象区域外なので
今のところ避難の必要は無いんですけど
今後どうなるか分からないので
心の準備だけはしないといかんな…と
母親(87)は今日、デイサービスの日…
先方からは休みの連絡が無いので
おそらく通常通りお迎えはあると思いますが
今日の場合は、家にいるより
良いかもしれません…
色々な意味で…
あとはとにかく安全に過ごすだけなので
皆様もくれぐれもご注意下さいませ…
では、本題に入ります
今回取り上げる記念日は
「冒険家の日」
1965(昭和40)年に
同志社大学南米アンデス・アマゾン遠征隊が
アマゾン川の源流から130kmを
世界で初めてボートで下った日
また、1989(平成元)年に
海洋冒険家の堀江謙一(ほりえ・けんいち)氏が
世界最小(全長2.8m)のヨット
「ミニマーメイド号」での太平洋の単独往復
(サンフランシスコ~西宮間)を達成した日
でもある
「冒険家」や「探検家」は英語で
「adventurer」(アドベンチュラー)と呼ばれる
新大陸の発見、未知の民族や文化の探検、
ヨットや気球、オートバイでの大旅行の敢行、
ジェット機での音速の壁への挑戦など、
様々な冒険のかたちがある
有名な冒険家として、大航海時代に
新大陸としてアメリカを発見した
イタリアのクリストファー・コロンブス氏
(Christopher Columbus、1451~1506年)や
ヨーロッパからアフリカ南岸を経て
インドへ航海した
ポルトガルのヴァスコ・ダ・ガマ氏
(Vasco da Gama、1460~1524年)
が挙げられる
その他にも、奈良時代に仏教を日本に伝えた
唐僧・鑑真(がんじん、688~763年)や
『東方見聞録』によりヨーロッパへ
中央アジアや中国を紹介したマルコ・ポーロ氏
(Marco Polo、1254~1324年)
スウェーデンの地理学者で中央アジアを
探検したスヴェン・ヘディン氏
(Sven Hedin、1865~1952年)などがいる
関連する記念日として、8月12日は
1962(昭和37)年に堀江謙一氏が小型ヨット
「マーメイド号」で
日本人初の太平洋単独横断に成功した日であり
「太平洋横断記念日」となっている
また、クリストファー・コロンブス氏が
1492年10月12日に新大陸のアメリカに
到達した日に由来して
10月の第2月曜日は「コロンブス・デー」
となっている
…とのこと
冒険…
何をもって冒険なのかが
今ひとつ分かってないんですけど…(笑)
探検、航海とかもそうだろうけど
自分が生業としている“放浪”も
ある意味冒険ではないかと思ってまして…
リスクを冒さないのは冒険ではない
…という認識をしてるので
放浪するなら、出来るだけ“無計画”に…
行き当たりばったりだから面白い…
でも、最初の行き先くらいは
決めておかないと…
行ったらどうにかなるだろうし…
生きてるうちに一度は
そんな冒険(放浪)をしたいですな…
行方不明になるのは
完全に独りになってからでいいや…
では、お誕生日の方の紹介です…
【8/30お誕生日の方(抜粋)】
お誕生日を迎えられた皆様
おめでとうございます🎉🎂
素晴らしい一年になりますように
①佐々木宏一郎氏
(Koichiro Sasaki、1943〜1989)
→元プロ野球選手(投手)・解説者
岐阜県揖斐郡池田町出身
岐阜短大付属岐阜高(現・岐阜第一高)
大洋(1962)→近鉄(1963〜1975)
→南海(1975〜1981)
史上11人目の「完全試合」達成者
→1970年10月6日、対南海23回戦(大阪球場)
投球数99・奪三振4・内野ゴロ10・
内野フライ7・外野フライ6
*通算成績(20年)
132勝152敗4セーブ、78完投(28完封)
1353奪三振、防御率3.39、WHIP1.18
*タイトル・表彰
最高勝率:1回(1970、17勝5敗)
昭和のパ・リーグの代表的な
アンダースロー投手というと
古くは杉浦忠氏(南海)、足立光宏氏(阪急)、
山田久志氏(阪急)あたりの名前が
挙がると思うんですけど…
佐々木宏一郎投手もその中の一人に
挙げていいと思うんです…
何と言っても「近鉄」ですし…
大洋にも南海にも在籍してたし…
「完全試合」やってるのが
何よりも凄い!
生涯に一度、出来るか出来ないかという
凄い記録なんだから
一度でも達成出来た人は凄いんです…
ご存命でないのがとても残念ですが…
②井上陽水氏
(Yosui Inoue、1948〜)
→シンガーソングライター
福岡県田川郡糸田町出身
本名:井上陽水(いのうえ・あきみ)
旧芸名:アンドレ・カンドレ
*経歴(かなり端折ります)
1969年、RKB毎日放送のラジオ番組
『スマッシュ!!11』が放送開始される
この番組には視聴者が作った音楽を流す
コーナーがあり、それを知った陽水氏は
12弦ギターを使って「カンドレ・マンドレ」を
自宅録音し、4月16日、テープをRKB毎日に
持ち込む
『スマッシュ!!11』のディレクター野見山実氏は
録音を聴きすっかり興奮した
陽気だが何か寂しげなところがあり
その発想に驚嘆した
このとき陽水氏は「マンドレ」という芸名を
考えていたが、野見山氏が難色を示し
芸名は「アンドレ・カンドレ」に決まる
「カンドレ・マンドレ」は『スマッシュ!!11』で
放送され、数多くのリクエストを受け、中には
「生の声を聴きたい」というものもあった
1969年7月初旬にレコーディングのため
福岡市から上京
「カンドレ・マンドレ」を改めてレコーディングし
同年9月1日
CBSソニー(現:ソニー・ミュージックレコーズ)
からアンドレ・カンドレとして同曲でデビュー
しかしほとんど注目されず、シングル3枚で
アンドレ・カンドレとしての活動は終わることなる
アンドレ・カンドレ時代に知り合った
小室等氏、安田裕美氏(六文銭のギタリスト)、
星勝氏(モップスのギタリスト)、
RCサクセションの忌野清志郎氏などとは
以後長く深い交際になる
特に小室等氏からボブ・ディラン氏を薦められ
以降の作詞に強い影響を受けた
この当時の陽水氏をよく知る高石ともや氏は
陽水氏の印象を
「ギター1本で客ひとりひとりをねじ伏せる
ような歌だった。彼の言葉はとても鋭く、
近づけないような雰囲気だった
演奏している背中を見ると、なんだか
切なかったことを覚えている」
と語っている
1971年、ポリドール・レコードのディレクター
多賀英典氏に誘われて移籍し、初のアルバム
『断絶』のレコーディングを始める
このアルバムの製作開始に合わせて名前を変えることになり、マネジメントの指揮を執った
奥田義行氏が本名を聞くと「井上アキミ」
というので、どんな字かと思ったら
「陽水」と書くという
奥田氏は吉田拓郎氏を意識し
「拓郎がその二文字で若者にインパクトを
与えている。だったら下の名前の「陽水」の
2文字で対抗、強調していこう」と戦略を立てた
吉田拓郎の生活派ソングというべきフォークが
もてはやされるに至り、翌1972年3月1日、
芸名を井上陽水(ようすい)と改め、
シングル「人生が二度あれば」で再デビュー
「人生が二度あれば」を編曲した星勝は
以後しばらく、陽水の作品の大部分を編曲する
ことになる
5月に「傘がない」が収録された初アルバム
『断絶』をリリース
1973年3月のシングルで東宝『放課後』の
主題歌「夢の中へ」が初のヒット
(オリコン17位、以下売上順位はすべてオリコン)
となり、同年7月には初のライブアルバム
『陽水ライヴ もどり道』をリリース
同年9月にはシングル「心もよう」をリリース
これもスマッシュ・ヒットとなる
同年12月にアルバム『氷の世界』をリリース
当アルバムは100週以上BEST10に留まるなど
ロングセールスを続け、発売から2年後の
1975年8月に日本レコード史上初の
LP販売100万枚突破の金字塔を打ち立てた
"テレビ嫌い"とも評され、歌謡番組から
ワイドショーから相当数の出演交渉を
全て断っていたが、陽水名となって初めての
テレビ出演とされる1974年12月に
東京12チャンネル(テレビ東京)で陽水氏、
小椋佳氏、遠藤賢司氏の3人のコンサート実況が
フィルム構成で放送されている
この年大晦日の第16回日本レコード大賞は
日本レコード大賞を森進一氏の「襟裳岬」が
受賞したため、作曲者の吉田拓郎氏が授賞式に
ジーンズで登壇し物議を醸した
陽水氏も企画賞を受賞していたが欠席した
1975年、陽水氏・吉田拓郎氏・泉谷しげる氏・
小室等氏が中心となって
フォーライフ・レコードを発起する
また、後に結婚する石川セリさんと出会う
1982年、バックバンドを務めていた安全地帯が
デビューし、1983年には自身作詞による
「ワインレッドの心」をヒットさせる
さらに1984年には
安全地帯に歌詞を提供した「恋の予感」
中森明菜に歌詞と曲を提供した「飾りじゃないのよ涙は」
そして自身の「いっそセレナーデ」
がヒットする
1986年8月にはライブアルバム
『クラムチャウダー』がリリースされ
9月には同じ題名のライブビデオも発売される
さらに8月20日から2日間、安全地帯との
ジョイントで「STARDUST RENDEZ-VOUS」
と題したコンサートを明治神宮野球場で行なう
このコンサートで「夏の終りのハーモニー」
を初披露、6万人の聴衆を動員しテレビ中継の
ほか、ライブアルバム、ライブビデオにも
収録された
1988年9月1日、日産自動車より新発売された セフィーロ(初代・A31型)のCMに「今夜、私に」
を提供
陽水自身も出演し、アドリブで
「みなさん、お元気ですか?……失礼しまーす」
と声を出す
ところがこのCMが公開されて間もなく
病床に臥した昭和天皇が危篤になったため
声はカットされた
同年10月、フジテレビ系のドラマ
『ニューヨーク恋物語』の主題歌に使われた
「リバーサイドホテル」がヒット
1990年から1991年にかけて、映画『少年時代』
の主題歌として作られた「少年時代」がヒット
1993年、フジテレビ系のドラマ
『素晴らしきかな人生』の主題歌に使われた
「Make-up Shadow」がオリコン最高2位、
売上80万枚超のヒットを記録
第35回日本レコード大賞の金賞を受賞する
1996年、PUFFYのデビュー曲として歌詞を
提供した「アジアの純真」がヒット
「アジアの純真」の作曲は、以前から交流の
あった奥田民生氏
同じく陽水作詞、民生作曲でPUFFYに提供した
「渚にまつわるエトセトラ」もヒットする
続いて「井上陽水奥田民生」というアーティスト名で
1997年にリリースしたシングル「ありがとう」
アルバム『ショッピング』はこれらのヒットを
受けたもの
2014〜2015年「井上陽水 氷の世界ツアー」開催
40年前に発売されたアルバム「氷の世界」を
全曲歌う、という内容のツアーだった
2019年に、歌手活動50周年記念ツアーを
敢行して以降は、表立った音楽活動を行なっておらず
2020年10月に公式ホームページにビデオ
メッセージを公開したのを最後に公の場での
活動も行なっていない
2020年11月頃からは福岡市内に居住している
また、代表を務めてきた個人事務所の
「キャンプ」と「ファイヤー音楽出版」の
代表取締役は2021年末に辞任し長男に
譲っている
長くなってすみません…(笑)
これでもかなり端折ったんですけど…
まあ、とにかく陽水氏は歴史が長いもので…
今さら説明の必要も無いですね…
でも、陽水氏の曲には結構縁があって…
学生時代、フォークソング部に入部して
新入生の初演奏を一人ずつやった時
自分は陽水氏の「夢の中へ」を
弾けないギターの弾き語りで演りました…
とても聴けたもんじゃ無かったですが…(笑)
あと、カラオケでも色々な曲を
歌わせていただいてまして…
「少年時代」とか…
「夏の終わりのハーモニー」とか…
色々演っております…
“皆さん、お元気ですか…⁈”
③伊藤裕季也選手
(Yukiya Ito、1996〜)
→東北楽天ゴールデンイーグルス(内野手)
三重県四日市市出身
2018年ドラフト2位、日大三高→立正大
横浜DB(2019〜2022)→楽天(2022〜)
*通算成績(2023シーズンまで)
277打数66安打24打点、9本塁打
打率.238、OPS.678
ベイの守護神・森原投手とのトレードで
楽天に移籍してしまったユキヤくん…
それでも出番は増えてるようで
しかも一軍でチャンスをもらってるようで
そこは良かったな…と思いました
ということで、今回はここまで…
今日は一日、天候が不安定…
歩行訓練は無理そうです…
不要不急の外出は控えて…
(母親は外出してますが…)
くれぐれも皆様、ご安全に!
また次回…
👇bobbyの“b☆スピリット”
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👇“8月30日の記念日”…
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