Q.喫茶店で頼むメニューは?
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その1…
お疲れ様です
放浪するブロガー
bobbyです
自宅療養生活?日目
記念日ブログでございます
土曜日…
昨夜、実家に泊まり
朝からいつものように
母親(87)の通院付き添い…
足りなくなっていた
食糧品の補充も終えて
とっとと実家を後にしました…
付きっきりも疲れますのでね…
前置きはこの辺にして
本題に入ります…
今回取り上げる記念日は
「喫茶店の日」
1888(明治21)年のこの日
東京・上野(下谷上野西黒門町)に
日本初の本格的なコーヒー喫茶店
「可否茶館(かひいさかん)」が開店した
1階がビリヤード場、2階が喫茶室の
2階建ての洋館で、1階ではビリヤードの他、
トランプや囲碁、将棋などをすることができた
珈琲(コーヒー)は、明治の文明開化に花を添える
ハイカラな飲み物として、特権階級の人々の間で
人気があった
「可否茶館」での値段は
もりそば1杯1銭の時代にコーヒーが1銭5厘
牛乳入りコーヒーが2銭だった
また、席料が1銭5厘もした
値段が高すぎたこともあり「可否茶館」は
3年もたずに閉店してしまった
その後、1910年代の明治時代末から
大正時代にかけて「カフェー」と呼ばれる
喫茶店が全国的に普及し、日本において
喫茶店ブームとなった
1950年代後半には音楽も楽しむことができる
「ジャズ喫茶」「歌声喫茶」「名曲喫茶」
などが流行した
このような喫茶店が登場・浸透した理由に
当時はレコードが高価で個人では購入が
難しかったことが挙げられる
1960年代から1970年代には、酒類を扱わない
純粋な喫茶店である「純喫茶」が流行した
「純喫茶」は、酒類を扱い
女給(ホステス)による接客を伴う
「特殊喫茶」に対する呼び名である
店主自らがコーヒーを淹れるような
こだわりがある喫茶店が増えたのは
この頃からである
『喫茶店「ミロンガ・ヌオーバ」』
上の写真は東京・神田神保町にある
老舗の喫茶店「ミロンガ・ヌオーバ」である
日本のタンゴ全盛期の1953(昭和28)年に
創業した「タンゴ喫茶」で、店内には
哀愁を帯びたタンゴの音色が響き渡る
関連する記念日として
喫茶店チェーン「コメダ珈琲店」を展開する
株式会社コメダが「く(9)つ(2)ろ(6)ぎ」
と読む語呂合わせから9月26日を
「くつろぎの日」に制定している
また「コーヒー年度」の始まりの日に由来して
一般社団法人・全日本コーヒー協会が
10月1日を「コーヒーの日」に制定している
…とのこと
喫茶店…
一番行ってたのは大学時代かな…
昼飯時か授業が終わってから
夕方頃に行くことが多くて…
今、どうなってるんだか…
川越時代に、早番の仕事帰りで
とあるショッピングセンターの喫茶コーナーに
ブログ書くために寄ったことは
ちょくちょくありましたけどね…
その時はだいたい
コーヒーとトーストのセットを
頼んでいたような気がします…
今、本当に行かなくなりましたね…
何といっても単価が自分に見合わないし…(笑)
自分ごときは
単価のリーズナブルな
ファストフード店で十分なんです…
【4/13お誕生日の方(抜粋)】
お誕生日を迎えられた皆様
おめでとうございます🎉🎂
素晴らしい一年になりますように
①西城秀樹氏
(Hideki Saijo、1955〜2018)
→歌手・俳優・タレント、広島県広島市出身
本名:木本龍雄(きもと・たつお)
郷ひろみ氏、野口五郎氏とともに「新御三家」と
呼ばれ、人気を博した
*経歴(かなり端折ります)
1972年3月、シングル「恋する季節」でデビュー
同年8月、1stコンサート開催
同年11月、1stアルバムリリース
1973年6月、シングル「情熱の嵐」で初めて
オリコン週間チャートのベストテン入りを果たす
1974年1月〜10月
ドラマ「寺内貫太郎一家」にレギュラー出演
同年8月、日本のソロアーティストとして初めて
スタジアムでのワンマンコンサートを大阪球場で開催
→以降、大阪球場では10年連続、後楽園球場では
1978年から4年連続で開催
同年12月、「日本レコード大賞」歌唱賞受賞
「NHK紅白歌合戦」初出場
1976年12月、「若き獅子たち」でレコード大賞
歌唱賞受賞
1979年2月、「ブーツをぬいで朝食を」が
「ザ・ベストテン」で第1位を獲得
同年12月、「ブルー・スカイ・ブルー」で
レコード大賞金賞受賞
1979年2月、「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)リリース
200万枚のセールスを記録する大ヒットとなる
1981年4月、情報番組「モーニングサラダ」の司会を担当
1983年、芸映を円満退社し、独立
同年2月、シングル「ギャランドゥ」リリース
1991年4月、シングル「走れ正直者」がアニメ
「ちびまる子ちゃん」のエンディング・テーマに
起用される
2001年6月、一般女性と結婚
2003年6月、脳梗塞を発症
闘病、リハビリを経て復帰する
2006年9月、「歌手生活35周年、奇跡の復活
ヒデキカンゲキ!」を東スポに連載
2015年4月、還暦記念アルバムリリース
2018年4月、自宅で夕食中に突然倒れ、全身痙攣
ののち、心停止、救急搬送で入院
深い昏睡状態で闘病を続け、5月16日23時53分
急性心不全のため逝去(享年63歳)
ヒデキさん、男性アイドルとしては唯一
大好きな人だったので
曲も聴いてましたし、アクションとかは
よくマネしてましたね…
訃報を聞いた時は本当にショックで
言葉を失いました…
旅立ってから丸6年…
この先も、自分にとっての男性アイドルは
ヒデキさんしかいません…
②牛島和彦氏
(Kazuhiko Ushijima、1961〜)
→元プロ野球選手(投手)・監督・野球解説者
大阪府大東市出身
1979年ドラフト1位、浪商高(現・大体大浪商高)
中日(1980〜1986)→ロッテ(1987〜1993)
*監督歴
横浜B(2005〜2006)
*通算成績(14年)
53勝64敗126セーブ、17完投(1完封)、746奪三振
防御率3.26、WHIP1.32
*監督成績(2年)
127勝154敗11分、Aクラス、Bクラス各1回
*タイトル・表彰
最優秀救援投手1回、月間MVP1回
ファイアマン賞1回
ベイスターズ元監督の牛島氏…
監督としては、わりと好きな方でしたけど
球団とすったもんだがあって辞めたんだっけ…
(違ってたら申し訳ございません…)
それこそ浪商時代のドカベン(香川伸行氏)との
バッテリーは話題になってて見てたもんな…
投手としては、先発よりも抑えのイメージだったし…
何といっても、落合博満氏が中日にトレード
された時の“犠牲者”(たぶん中日ファンからすると…)
の一人だもんな
*落合博満氏は個人的にあまり好きではないです…
③西崎幸広氏
(Yukihiro Nishizaki、1964〜)
→元プロ野球選手(投手)・野球解説者・タレント
滋賀県大津市出身
現・埼玉武蔵ヒートベアーズ監督
1986年ドラフト1位
滋賀・瀬田工業高→愛知工業大
日本ハム(1987〜1997)→西武(1998〜2001)
*通算成績(15年)
127勝107敗22セーブ、117完投(22完封)
1573奪三振、防御率3.25、WHIP1.26
*タイトル・表彰
最多勝利1回、ベストナイン1回
ゴールデングラブ賞2回、月間MVP4回
他多数
ノーヒットノーラン(1995年7月5日、vs西武)
オールスターゲーム出場7回
自分と同学年の選手の中でも
阿波野秀幸投手とともに
“トレンディエース”と呼ばれた西崎氏…
西武にも在籍はしてたけど
やはり日ハムのエースという印象が
強い人でしたね…
この年代、意外とイケメンが多かったんですよね…
西崎氏、阿波野氏、荒木大輔氏…その他諸々
その選手の皆さんが…還暦だもんね
時の流れを感じます
というわけで、今回はここまで…
この後も皆様、どうかご安全に!
また次回
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