中学コースという雑誌の付録に、海外の推理小説の古典がついていました。
推理小説の虜になって、古今東西の推理小説の読破を目指した時期もありました。
「をだまき」というハンドルネームの理由の1つになった「成吉思汗の秘密」
推理小説の中で、義経伝説を解き明かすという型破りのものでした。
なんせ推理小説につきものの、「殺人」や「犯人」がでてこないのですから・・・・・・
長じて、まったく別な理由から「平家後抄」という名著に出会いました。
「平家物語」の最後は、『平家は永く絶えにけれ』となっていますが、
壇ノ浦の戦い以後、連れ戻された平家の公達や女人たちや配下の武士たちなどについて
よくここまでと思えるほど調べられた資料でした。 詳しくはこちら
そしてこの度の、「義経伝説と為朝伝説-日本史の北と南」
義経伝説の学術版かと思いしや、「「義経伝説」と「為朝伝説」を元にした、学術的考察でした。
いわば、日本の成立記録でした。
民俗学的に「義経」と「為朝」の伝説を収集するところから始まります。
「義経伝説」は、実に42都道府県、508ヶ所にのぼるそうです。
一方の「為朝伝説」も36都道府県、196ヶ所におよぶそうです。
こうした英雄伝説の特徴は、死後の物語にあります。
「源義経」は「衣川」では死なずい北海道に渡って、アイヌの人々の崇拝を集めたとされ、
さらに中国大陸へ渡って清王国の始祖になったとか、
最終的にはモンゴル帝国の始祖「ジンギスカンジンギスカン」は「義経」だったという説に展開します。
わたくしが読んだ「成吉思汗の秘密」は、そうした伝説を「高木彬光」が推理小説風に虚構したものです。
しかしこの度の本は、なぜこうした伝説が誕生したか?
その背景を調査・考察した、真面目な本でした。
そこには「ヤマト政権」から始まる中央政権が、北へ南へと勢力を拡大した軌跡と重なっているのです。
平安時代でさえ、国土は「東は陸奥」「西は遠価嘉(とがち)→五島列島」「南は土佐」「北は佐渡」でした。
鎌倉時代においても、「北は外ヶ浜から南は喜界島まで」だったのです。
その拡大・制服する過程が丁寧に説明されていて、日本史の勉強になりました。
2月3月は病院へ行く機会が多くありました。
病院と言えば「待つ」ことが用件のように思えます。
こうした状況でなければ、読めない本でした。
また「網野義彦」の説く日本史、とは違った面からのアプローチを知ることになりました。
年間100冊を目標に乱読していますが、こうした良書にであう楽しみもあります。