純愛/名もなく貧しく美しく | をだまきの晴耕雨読

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ブログを始めて10年が過ぎました。
開始時の標題(自転車巡礼)と、内容が一致しなくなってきました。
生き方も標題もリフレッシュして、再開いたします。

名作と評判高い映画を見ました。

 

「名もなく貧しく美しく」    

 

昭和36年(1961)の主演作品で、高峰秀子さんのご主人の、監督第一作でした。

 

こんな画面から始まるのです。そう、主人公の2人は聾唖者なのです。

 

 

物語は空襲のシーンから始まります。子供を背負って必死に逃げ惑う「秋子」。主人公の1人です。

背中に背負っているのは自分の子どもではなく、空襲の焼け跡で拾ったみなし児でした。

 

 

彼女が嫁いだ先の両親は快く思わず、彼女の留守中に孤児の収容施設に入れてしまうのです。

彼女はお寺に嫁いだのですが、障碍者がお嫁入できたのは、実家(檀家)が裕福だったからでした。

ところが、夫が「発疹チフス」で亡くなると、49日も経たないうちに離縁されるのです。

 

 

「秋子」の姉はキャバレーに勤め、弟は満足に働こうとしません。

 

 

そんなとき、聾唖学校の同窓会の案内が届くのです。

 

 

そこで、未来の夫となる「道夫」と出会うのです。

 

 

後日、「道夫」からお誘いの電報が来ます。聴覚障碍者の連絡方法は限られているのです。

FAXが世にでたとき、一斉に歓迎されたと聞いたことがありました。

そして2人は結婚するのです。

 

 

「秋子」が身ごもります。夫は心配でたまりません。これは障碍を持つ者だけでなく、親となるものは一様に悩みますね。そして母親も反対するのです。子育てが難しいのを知っているからでしょう。

 

 

しかし「心配するよりも産むがやすし」、立派な男の子が誕生します。

 

 

そんな幸せな家庭を泥棒が忍び込みます。物音が聞こえない家は格好の標的だったのでしょう。

 

 

ところが災難はこれだけでは終わりません。もの音に気付いた赤ちゃんが起きたのです。

そしてハイハイして、土間に落ちてしまうのです。危険を知らせる大声を出しても両親は気づきません。

 

 

悪いことは続きます、「道夫」の勤める鋳物工場が出火して職を失うのです。

職業安定所(現在のハローワーク)には、職を求める人でいっぱいです。

 

 

夫婦はそろって靴磨きを始めるのです(戦後の象徴ですね)。

なぜ、当時はあんなに外で靴を磨いたのだろうか。今では、大きな駅の構内でしかお目にかかれない。

 

 

ところが、「秋子」は妊娠していることがわかるのです。身重の妻を心配して語りかけるのです。

 

 

そして母が引っ越してきたのです(実は弟が勝手に家を売り飛ばしたのです)。

このことは夫婦にとって、子育てを始める上で不幸中の幸いでした。

 

 

正直な「道夫」は、釣銭を巡って米兵のお気に入りになって、72足もの注文を受けるのでした。

 

 

次男の「一郎」が産まれる。「道夫」は音の出るものを買ってきては赤ちゃんの反応を楽しむのでした。

 

 

生活は貧しく、母は簪を質入れするのです。

もうこの時代「かんざし」は時代遅れでした。『いいものです。指輪だったら3万円はします』

売買に「米穀手帳」が必要でした。一種の身分証明書がわりだったのでしょうか?

 

 

祖母や父母の愛情をいっぱい受けて「一郎」は、健康優良児と表彰されるほど成長する。

 

 

ところが大きくなるにつれて、「一郎」は疎外感を味わいます。

両親のことで仲間外れにされたり、からかわれたりしたのです。

彼は向こう意気が強く、それらの「いじめ」に真っ向から立ち会いました。

時には相手に怪我もさせました。

 

 

ところが障碍のある両親を疎ましく(恥ずかしく)思っているのですね。

入学式に来なくて良いと言うのです。

 

 

そして弟の「宏一」が出所してきます。彼は全くの怠け者でした。

 

 

夫の「道夫」の給料をあてにして、かけ事にうつつを抜かすのです。

 

 

そんなとき、懸賞でラジオがあたるのです。

耳の聞こえない夫婦は「一郎」に尋ねるのです。「一郎」は『音楽だよ』と答えるのです。

ラジオに手を置いて、振動で音の出ていることを知ろうとする夫婦。

 

 

相変わらず「いじめ」は続きます。1対1では負けませんが、多勢に無勢になってしまいます。

 

 

さらに、弟は仲間と組んで「秋子」の唯一のミシンを盗みに来るのです。

どうして「松山善三」は、これでもか、これでもか、と夫婦をいじめるのです。意味が分かりません。

 

 

身内がかける迷惑に耐えきれない「秋子」は、「道夫」の前から去ろうとします。

 

 

置手紙を読んだ「道夫」が見つけ、車両を挟んで手話で対話します。

この間5分。この映画の主題がつまった5分間でした。

夫婦とはどういうものか、どうありたいか。涙なくしては見れませんでした。

説得が効して「秋子」は家に戻ります。

 

 

「一郎」は小学校5年生になっています。

友達を家に連れてくるまでに成長しています。そして母親を同級生に紹介するのです。

映画では、どうしてこんなに良い子に成長したのか?説明はありません。

 

 

行方が分からなかった、姉「信子」はバーのママをしていました。

彼女も弟「弘一」にたかられていました。そして、中国人の愛人になっていました。

心配して訪ねてきた母親に『お金ならないわよ』と言い放つのです。

それでも母親の帰り際に、母親の胸にお金を突っ込むのです。彼女は母親の子どもでした。

 

 

姉のことを知らない「道夫」は、『姉さんも来てもらって一緒に暮らそう』と提案します。

「秋子」は、『姉さんは、私たちよりお金持ちよ、でも姉さんは私達より倖せかどうかわかりません』と言う。

 

 

成績優秀な「一郎」は、在校生代表として「送辞」を読むのです。

そして母に学校へ見に来てと誘うのです。小学1年生のときとは様変わりです。

 

 

「秋子」が学校へ行っているときに、あの終戦時孤児だった「アキラ」が訪ねてくるのです。

 

 

20数年ぶりの邂逅です。知らせに来てくれた母を学校に残して、急いで家に向かいます。

もうその後の紹介は不要でしょう。

 

同じような結末の小説を読んだことがありました。

「高見順」の「今ひとたび」でした。やっと幸せになるというのに   「今ひとたび」はこちら

 

この映画は、涙なくては見れないものでした。

障碍を持つ者が、健常者以上に努力して生きていくさまが紹介されていきます。

 

そして助け合う夫婦の細やかな助け合い、支え合う姿が映されていきます。

夫婦の純愛物語だと思いました。どうしてと思うくらいに真面目な生活を送るのです。

 

この映画には、往年の名脇役がこれでもかというくらい出演しています。

 

原泉・荒木道子・根岸明美・草笛光子・加山雄三・高橋雅也・沼田曜一・八波むと志・南美江・河内桃子

藤原釜足・多々良純・加藤武・十朱幸雄・小池朝雄(字幕順)

 

他にわたくしが知らない名優がいたのかも知らない。

 

中でも「原泉」さんが印象深い。

見事な演技だった(「タンポポ」で桃のお知りに指を突っ込んでいたお婆さんとは違っていた)

 

「草笛光子」さんも印象深い。姉役でしたが、実際は「高峰秀子」さんより年下でした。

白髪姿で目力のある現在を誰が予想できたでしょう。ただただ美人でした。

 

それらの名優たちを凌駕するのが、「高島秀子」さんの演技でしょう。

 

おどおどした自信なさそうな、障碍者の特徴をよく表していました(幾分猫背な姿勢も)

そして、裏声のような発音とオバーとも思えるしぐさ。

「阿弥陀堂にて」にての、「小西真奈美」さんの演技と被さります。  「阿弥陀堂にて」はこちら

 

そして手話です。

もう見事なものとしか言えません。

その手話について、「私の渡世日記/下」133ページに次のように記されている。

 

昭和三十六年、私は松山善三演出の「名もなく貧しく美しく」という映画で聾唖者を演じた。

耳がきこえず言葉が言えない聾唖者は、「手話」と呼ばれる手真似で意思を交流する。

私は手話の特訓を受けた。手話のあまりのむずかしさ、ややこしさに、私はへこたれて、心底「この映画が製作中止になってくれないかなァ」と願ったのも、いまとなっては遠い思い出のひとつになったが、実際に使用される手話は、見た目には実にテンポが早く、いうなれば荒っぽい。

健康な人間が早口で喋るテンポで手が動くのだから当然である。ひとつひとつの名詞や助詞に手話の手ぶりが決められているけれど、言葉によってはそのものズバリすぎて、画面に写った場合にはどうだろうか?と首をひねりたくなる手話もある。実際の聾唖の人たちから不満の声が上がるのを承知で、私は見た目に美しく、流れるように優雅な手話に、つまり材料の手話を勝手に料理してしまったのである。ストーリーが感動的だったせいか、手話の料理に対する誹謗の声は聞かれず、私はホッと胸をなでおろした。

 

「高峰秀子」さんは、このような文章を書く人だった。そして見事な演技をされた人だった。

 

「小林桂樹」さんは一言も話しません(当たり前ですが)。

夫婦の会話の大半が字幕スーパーです。脚本(シナリオ)を読んでいるような感じでした。

むしろすぐに忘れる音声より、心の中にグサッと入ってきました。

 

この映画を引き締めたのは子役の名演技でした。

小学1年生役の「島津雅彦」、そして小学5年生役の「王田秀夫」、屈託のない笑顔が印象的でした。

「島津雅彦」さんは当時有名な子役でした。ところが慶応大学を卒業と同時に芸能期から去ります。

「王田秀夫」さんはこの1作だけだそうです。

 

この作品は半分実話だそうです。

有楽町の靴磨きの聾唖のお婆さんの話を聞いてから、何十人もの聾唖の人達を取材したようです。

「何が一番困るか?」「どういう仕事をしているのか?」「嬉しいことは?」などなどを筆談で、あるいは郵送によるアンケートなども実施して取材したそうです。

 

最後に、この映画は海外公開を意識して別バージョンのハッピーエンド版があるそうです。

ただ脚本家であり、監督であった「松山善三」は、この営業方針をどう思ったでしょうか。

多くの障碍者への取材を通して、彼らの“現実”を描く時、とてもハッピーエンドで終わらすことはできないと考えていたのでしょう。

 

わたくしも、結末はこれで良いと思いました。「今ひとたびの」がそうであるように。

 

 

なお、写真は本編からカットし使用させていただきました。