またはどこのポジションに属しているのか、を日本人は常に気にしている。内田樹さんの本を読んで改めてその事実がわかり、もやもやしていた疑問がすとんと腑に落ちた。近ごろは映画を観るんでもレヴューを参考に決めたりするみたいだし(そんな他人で素人の感想なんか自分の感性とはなんも関係ないのに)。だいたい道を歩いている時でもやたら人の顔を見てきやがるね。あの目線、いやだねー。瞬時に人を見定めるというか、鑑定しているというか。もしくはその人が知り合いの場合もある(であれば挨拶しなきゃならないし)。なかには運転中でも対向車の人を確認している奴までいる。「さっきすれ違いましたね」って言われて。「知らねーよ!」って。もうおれはだいぶ前から人をほとんど見ないで歩いている。でもぶつかりたくないから目線を落とす程度。少なくとも相手の目は見ない(きれいそうなネーチャンは別。見ちゃうね)。理由の第一は疲れるから。おれはただ単に気楽に道を歩きたい。でもいちいち見られると、余計な考えが頭をめぐるから、それがめんどくさい。たまに知った人とすれ違っても相手は気づくが(たまに頭を下げてくるようだ)、おれは気がつかない。相手にわるいかな、と初めは思ったけど、今は、ま、いいや。でも近所ではちゃんと相手を見ている。近所の人間関係は大事でしょうから。周囲の状況を察し、自分の立ち振る舞いを決める民族。だからその場その場で態度まで違ってくる。いくつもの顔を使い分けるプロ。海外だと多少はあるけど、ここまで極端じゃない。今年の流行語大賞になるであろう忖度なんて、国民みんなの意識に浸透しているんじゃないか。読まなくてもいい空気まで読んで行動してしまう。だから腹を割って話そう!ったってたてまえだけになる。この会社にも若手社員が社長と話そう、という催しがあるが、まったく意味がない。ただ単にそれぞれのポジション内での発言に留まる。いったい何のためにやっているのか。そういう表層だけの無意味なものがこの国にはじつに多い(まあそれでも成り立っているのだけど)。不思議な国だわ。