サイトウキネンを聴くのは久しぶりだ。他の用事で長野にいくことになり、どうせそこまで行くなら聴きたい。で、調べてみたらチケットがまだある。しかし当日、演奏会開始のギリギリで到着する。車でいろいろ移動していたら結構市内が混んでいて「これはヤバいかも・・」と焦った。下手したら第1楽章(この曲でもっとも好きな楽章)が聴けない事態に?!。もっと余裕をもって行きたいものだ。
久々のキッセイ文化会館(だっけ?)は熱気があった。ここはホールの照明や雰囲気はいいのだけど、舞台がちと安っぽい(クラシック専用ではないのでこれはショウガナイか)。さらに音響面でも考えさせられるものがある。しかし、そんなことはぶっ飛ぶくらいの素晴らしい演奏内容であった。
ルイージ渾身の指揮にオケが食らいつく。その様相は楽章が進むごとに一体となり。クライマックスではおれは我を忘れて完全に演奏にのめり込んでいた。それにしてもこのオーケストラはなんと素晴らしいことか。強音の壮絶さも目を見張ったが、弱音の充実さもすごいのだ。終楽章のラスト。生命が弱り、消え入るように終わる、あの箇所。すごく抑えた音量なのに、はっきりと“主張”が聴こえる、あの弦群。言葉がない、とはこのことだ。はじめは、ルイージとサイトウキネンらしい現代的解釈は、おれが求めるマーラー演奏ではないなー、それもムリもないことだが、と一歩ひきぎみで聴いていた。しかし弦も木管もパーカッションもマーラーの響きであるのだ(そう思わされた)。見慣れたトッププレーヤーたちの演奏はほんとにさすがで、他では味わえない感銘を何度もうけた。最近のベルリン・フィルは実演では聴いていないけど、表現力と技術面でベルリンを連想させられた。それに演奏内容の意味深さや充実度では“それ”を超えてやしないか。それと特筆すべきはルイージの指揮。彼のもつオケの統率力は過去の実演で知っている。その力とマーラーに対する理解。基本、正攻法の解釈で正面から挑む。この曲はその方がいい。個人的にはマーラー演奏は、どこか田舎くさい(あまり上手い必要はない)のんびりとしたところと、天地がひっくりかえるような(音を外しても構わない)地獄のようなトゥッティ。そういうのが好きなので、クレンペラーが理想。しかし時代が違う。クレンペラーのときのような演奏は絶対にムリだし、そうする必要もない。今の時代に生き、独自の感性を磨いているルイージが表現したいマーラーをしなければならない。そういう意味でもこの日の演奏は間違いなく現代最高峰のマーラーであった。実は最近はこの曲の終楽章はさほど聴いていない(他の楽章があまりにも好きすぎるからかもしれない)。しかしこの演奏では終楽章がもっとも感動した。そして改めてこの曲の素晴らしさを再認識したのだ。
バトンは小澤さんからルイージに渡されてもいい(興行的には問題があるかもしれないが)。彼の指揮とサイトウキネンでブルックナーやワグナーも聴いてみたいのだ。そして来年もサイトウキネンを聴きに松本まで来たいとおもった(電車で余裕をもって)。
