今週にも始まるサイトウキネン(セイジ・オザワ松本フェスティバル)のAプロ(メイン!)のチケットがまだ余っているというのは、はやり寂しいものがある。かつては入手困難で知れたこの音楽祭。おれも何度か行ってきた。はじめはヴェルディのレクイエムのとき。チャイコの6番やオペラも聴いた。もっとも感銘を受けたのはストラヴィンスキーの歌劇“道楽者のなりゆき”。あれほどの美しい音楽(響き)はそうは聴けない。いや、美しいだけじゃなく深いものもあった。だからこそ今でも心に刻まれている。反対にチャイコには失望した。あまりに表面的な演奏に納得いかず、いっとき小澤さんの音楽から離れた。まあ、そんなこんなで松本にはいろいろ想い出がある。小澤さん、最近はコンサートを半分しか振れなくなっている。今度の水戸室内での“第九”ではなんと第3・4楽章だけしか指揮しない(できない)。これはシリーズでライブ録音しているけど、こんな形でリリースするのだろうか。もしくは1・2楽章は別録でやるとか。いずれにしてもこれも寂しいことだ。小澤さんの恐いくらいの全盛期を知っているだけに痛々しい。それにしてもサイトウキネンオケの総合的な魅力が発揮される大人気曲のマーラー“第9”が余って、そうでない言わゆる“軽め”の演奏会のチケットだけが完売する。人々はここ松本に、音楽を聴きにきているのだろうか。それとも小澤さんが見たい、から来るのだろうか。ネームヴァリューに弱い国民性がここでも表れていないだろうか。いつかは小澤さんも完全に引退するときがくる。そしてそのときのこの音楽祭の危機。バトンがうまく引き渡されなければならない(バトンはまだ小澤さんの手だけにあり、次の走者の姿がみえない)。小澤さんが最も手塩にかけて育ててきたサイトウキネンオーケストラの危機。今回小澤さんを“見に”くる人のなかにはそこまで考える人はあまりいないかもしれないが。。