シューベルトの”ザ・グレート”って改めて難しい曲であると感じいった。一見すると単調そうに見えるスコアである。これを単に音として再現しただけではもちろんだめ。しかも厄介なことに、シューベルト特有の歌、ウィーン気質といったものまで要求されてくるのだ。実演ではレヴァインとウィーン・フィルにはあまりにも平坦な演奏にがっかりさせられたが、ブリュッヘンと新日本フィルの演奏には感服した。そしてこのゲルギエフとPMFの実演。結論から言えばおもしろみは感じなかった。シューベルトらしさもない。分かりやすくいえば、スコアを具現化しただけのような演奏。中身がないのだ。響きはきれいである(岡本太郎は否定しそうな、笑)。そして久しぶりのミューザの音響にも満足した。最後のコーダもスーッといって山が低い。要はシューベルトらしい”田舎っぽいあたたかさ”というか、どうにもならない孤独感、恥も外聞もないほどの喜び、そういった彼の音楽には欠かせない感情!それがないのだ。世界の一流の若者たちの熟練した音楽性までは求めないにしても、彼らはこの期間で何を学んだのだろうか。技術は申し分ないはず。アンサンブルは学んだだろう。音楽性ももちろんそうに違いない。しかし、おれにはシューベルトの内容が見えてこなかった。ゲルギエフはミュンヘンのシェフになったから、この曲を取り上げる機会はあるかもしれない。その時の解釈に興味がある。この夜の演奏からどう変わるのか。前半にやったブルッフのコンチェルトのソリストはまあよかった。あと、ワグナーのタンホイザー。これも残念な結果。繊細な弦と弱い金管、ワグナーではなかった。