モーツァルトの死因は、浮気相手の夫がモーツァルトの頭上に振り下ろした棒っ杖で撲殺されたからだ、というおもしろい本を読んでいる。
この事実は国家の威信に関わるとの理由から国をあげて隠蔽工作がなされ、我々は現在に至るまで間違った情報を教え込まれてきた、らしい。
 
モーツァルトの死といえば映画“アマデウス”の印象が残っている。
作曲家サリエリが毒殺した、とか、サリエリにはあらぬ疑いがかけられかわいそうなことをした。
そのせいでサリエリは作曲家として真っ当な評価の妨げになったことだろう。
 
歪曲された歴史はなにもこればかりじゃない。
上層部に都合が悪いことは隠される。
これは定説ではなかろうか。上は何が何でも全力で明るみに出るのを阻止しようとする。
太古から現代、またはこれからの未来においても変わらない習慣であろう。
 
また、学校の歴史の授業がおもしろくないのは、こうした都合のいいように作られた歴史を習っているからかもしれない。
ただ整った歴史の年号を覚えるだけのいかにも表層・上辺の真意も怪しい歴史がおもしろいわけがない。
 
それとこの本が教えてくれるのは歴史的事実の他に、その時代の人々がまとっていた空気・匂いもある。
男女間の営み、埋葬のしきたり、差別意識、なにを考えて生きてきたのか、といったことがそれとなく感じとれる。
ジュースマイヤーもたんなる“弟子”ではなかった。
新発見はたくさんある。
 
それと藤沢周平さんの“一茶”も興味深い小説だった。
通奏低音のように暗い運命を引きずりながら生涯を生き抜いた一茶。
作家はあくまで等身大の人間として描ききり、偉大さなど余計な装飾はまったくない。
 
そこに戸惑うが、おもえばおれは“有名な人=立派な人格者”みたいな穿った見方を無意識にしてしまっていたかもしれない。