ヴェルディのレクイエムに初めて接したのはアバドとミラノスカラ座の演奏で、小澤さん指揮サイトウ・キネンによる同曲を聴くための予習であった。
その時初めてサイトウ・キネンを聴くということで興奮ぎみに松本市内を車で走って聴いていたのをよく覚えている。
それとともにこの曲のもつ抒情性や寂しさがじんわりと心に入ってきて、この曲をすっかり気にいってしまった。
サイトウ・キネンといえば新聞に大野さん指揮のオーケストラコンサートチケットがまだかなり余っているのを見て残念なおもいがした。
小澤さんじゃないと買わない、この程度の観客の意識レヴェルではまだこの音楽祭が地についていないということを示している。
大野さんは海外でも高い評価を受けている日本を代表する実力派指揮者だ。
プログラムもモーツァルトのシンフォニーとシュトラウスのツァラトウストラという大変期待させるもので時間があればおれは飛びついていた。
でも実際は売れない。
いつまで小澤さんに頼っているのか?
小澤さんのネームヴァリューだけでコンサートに行く人も多いだろう、それはそれで悪くはないがおれとしては“音楽”そのものを聴きにいってほしい。
小澤さんだって人間だから当たり外れはある。
日本では大物指揮者の演奏はなんでも拍手喝采が起こるが、ほんまにそうか?ってのはよく経験した。
ちゃんと音楽を聴くと有名だろうが無名だろうが一切関係なく、感銘を受けるしがっかりもするものだ。
ちょっと話が脱線した。
海外ラジオで今年のザルツブルク音楽祭でムーティがウィーン・フィルと演奏したヴェルディのレクイエムを聴いたが、これはよかったなぁ。
特に激しいわけでもなく、ゆったりと美しく、内容の濃いレクイエムなのだ。
いつまでも聴いてこの世界にひたっていたい、そう思わせる名演だった。
おれはレクイエムという分野ではやはりヴェルディのがダントツで好きだ。
おれはいまだにガラケーで、これからもずっとこのままでいたい。
世界中で最後の一人になってもスマホにすることはないだろう。
むしろケイタイ自体が煩わしいとおもっている。
そんなガラケーオヤジのおれのことろによく友達からフェイスブックのお誘いがくる。
そういうのはよくわからないし、めんどくさそうだから放っておいている。
今朝の新聞にのっていたが若い連中の間で“ラインLINE”という情報伝達機能が流行っているらしく、しかし、それを利用する若者は“疲れ”を感じているというのだ。
ラインの詳しい機能の内容は知らないが、既読したかしないか相手に伝わるから読まないとならないらしい。
バカバカしい。
そんなに機械に振り回されるのが嫌ならぜんぶ辞めちゃえばいいのだ。
仲間外れになるのを恐れているのだろうけど、それじゃあうわべだけで付き合うことになるぜ。
堂々と仲間外れになればいい。
自分のやりたいようにやってダメならそれでもいいじゃん。
どっちにしろついてくるヤツはついてくる。
ラインから外れても付き合ってくれるヤツがほんとうの友人ってなるんじゃないかね。
機械優先、人間性後退がさらに促進してきてやしないか?