■たまに電車が遅れることがある。
今朝も信号機トラブルだとかで1~2分遅れていた。
するととたんに車掌がマイクをにぎり「おいそがしいところ、ご迷惑をおかけしまして大変申し訳ございません」なんて謝る。
しかも執拗に言うもんだからうるさくてかなわない。
おれとしては、そんなちょっとくらいはどうでもいい。謝るレベルの話じゃない。むしろ静かにしていてほしい、とおもう。
ただでさえ日本の電車はアナウンスがうるさい。
過剰な注意事項や過剰な案内。
まるでお客を子ども扱いだ。もっと普通でいい。
またそのお客も不思議なもので、1分遅れたら大変だみたいに血相を変えている奴がいる。
そのくせ、エレベーターでは左側に乗ろうと長蛇の列にならぶ。
急ぐんだったら隣の空いている階段を登ればいいだけのところをわざわざ列にならぶ。
こういうものきっと、ただただ大勢に従って行動しているだけ、だからこういうことになるのだろう。
自分がどうしようとはではなく、みんながそうしているからそうしよう、というだけなのだ。
“スマホを見ながら歩くのは危険です”なんてアナウンスを聞く。
そりゃそうだ。あんなもん見ながら歩いていたら危ないに決まっている。
おれもよく駅でそういう輩とぶつかる。またそういうのに限って人とぶつかっておいて知らん顔をしやがる。
こいつには感情があるのか?と妙に薄気味わるい感じがする。
そんなヤツに“危ないからやめましょう”なんて言ったって聞くわけがない。
よけい意固地になってもっと危ないことをするかもしれない。
こうなることは分かりきったことだった。
道具は使い方しだいだと言うが、注意してスマホを使っている人はどれくらいいるのだろう。
電車内での風景を見る限り、多くの人がスマホに“呑みこまれ”ている。
気力が衰退し、目つきに覇気がなくなっているのが見てとれる。
スマホの次はなにが彼らを呑みこむのだろう。
こうしてどんどん人の知能は低下していき、過去の科学者が予期して描いた、妙に頭がでかくきゃしゃな“未来人”が出来上がっていくのかもしれない。
そういった意味じゃ、この現象も自然の流れに従っているだけともいえる。
