■先だって、現地でやったウィーン・フィル定期公演のライヴを聴いた。
指揮はジョルジュ・プレートル。
メインはラヴェルのボレロであったが、このボレロがおもしろかった。
一般的にこの曲はあの定まったリズムを土台とし、それぞれの各パートの見せ場が順番にやってきて、最後は総体でクライマックスをむかえるものだ。
ある意味機械的な規則正しいイメージがある。そこは几帳面なラヴェルだから折り目正しい曲だというのになんの疑問もない。
そこで、このプレートルの演奏だが、主旋律が独特の“こぶし”を聴かせており、すべての楽器がなまめかしく“生きている”のだ。
ある個所ではテンポが遅くなるため、支えている“伴奏”者たちはそれに合わせなくてはならない。そこもとてもうまくやっていた。
プレートルの指揮にかかるとオーケストラは実に生き生きとした表情をみせる。
それがこのウィーン・フィルだもんだから余計に“生きている”という印象が強くなる。
ウィーン・フィルほど“生きている”響きをだすオーケストラはない。
柔軟で野性的、それになによりもあたたかい。
その後やったドゥダメルとのワーグナーとモーツァルトもよかった。
ワーグナーは“ジークフリート牧歌”。この平和な空気に満ちた祝祭音楽をとてもあかるく幸福感いっぱいに演奏していた。
メインにはモーツァルトのセレナーデの何番かをもってきたが、これにもびっくりするほどの名演をくりひろげていた。
ドゥダメル、どこまで大きくなるのか。この先も楽しみな男だ。