■大晦日になると、TVでは「激動の平成24年ももうすぐ終わりを告げようとしています・・・」などと深刻な顔をする一方、「新しい平成25年は、あかるい年になることを願ってやみません」と閉めるのは毎度のお決まり。
 
これを聞いていつも思うけど、世の中そんなに急激によくなるはずはない。来年も例年どおり厳しい年になるとしか思えない。
むしろ総体として見れば悪化の途をたどっていくんじゃないか、と思えてしまう。なにしろ世の中が明るくなる兆候はおれには見えないからね。
 
でも、そんな世知辛い世の中だからこそ、せめて正月くらいはいい夢でも見させてくれや、という配慮から、こういう放送になるのだろう。
 
みんな肌で感じてだいたいわかっている。
これからどんな世の中になるのかってことは、本能で感じているけど、それをみなまで言うのを回避したくなる。
一縷の希望を見いだしたいのは人情だろう。
 
 
またこれを紐解いていくと、違ったものが見える。
個々人の単体で見ていくと、それぞれまったく違う人生を歩いているから、幸不幸、良かった悪かった、なんてのは千差万別。
 
ある人にとっては“素晴らしい一年”だったけど、またある人にとっては“最悪な年だった・・”ってことで、てんでばらばら。ひとまとめに甲乙つけることは不可能。
オリンピックで金メダルをとって心底嬉しいのは本人と関係者で、見ている我々はそれほどでもなく、それだけで“いい年”とは言えない。
基本、人は自分のことで精一杯なのだから。
 
しかし世の中全体として見た場合、どうだったのか?
これもそう簡単じゃない。
 
これだけグローバル化が進んでしまうと、言ってしまえば世界は一蓮托生。
あっちの国で株価が暴落すれば瞬時にこっちの国でも多大な悪影響が起きる。
世界は一つの巨大な網に覆われているけど、国境近辺では依然としてぴりぴりとした緊張状態が続いている。
一歩たりとも隣国に自分たちの地を譲る気持ちなとさらさらない。
協調と闘争。
この矛盾で世界は成り立っている。
 
おれらは相反する両方の心情を持ち合わせているから、この矛盾を受け入れられる。
 
だからこう書いていくと、“良い年”とか“悪い年”とか、そんな簡単なワードだけで語っていること自体に無理があるんだろう。
 
 
ではみなさん、来年もよろしく!