■巨大なシューベルトのこの交響曲は、聴いた当初からそうとう気に入っていたので、いくつものCDを買ったり、演奏会に行ったり、ラジオやネットから録音したものを聴いていたから、何十種類もの(いや百を超えているかな)、演奏を聴いてきた。
その中でいくつもの名演奏に接してきて、さてどれが自分にとってベスト演奏だろうか、と振り返ってみると、フルトヴェングラーとベルリンのスタジオ録音か、もしくはラジオでやったサヴァリッシュとウィーンによるライヴ演奏か、または最近のムーティと同じくウィーンとのライヴか、などと挙げていたが、どれも決定打に欠けていた。
それは自分が抱いている曲のイメージは“まだこんなものじゃない”という違和感、不完全燃焼さが否めないでいた。
具体にいうと、どの指揮者も“平坦”に聴こえてしまうのがどうも納得がいかない。でも、そうなってしまうのは曲そのものが“平坦”な構成になっているからかもしれないと、無理やり自分に言い聞かせてきた。
そんなおり、ついに「これぞ決定的な演奏だ!!」というのに出あった。
フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による1953年ザルツブルク音楽祭でのライヴ。
まず、とんでもない演奏です。
しょっぱなから迫力はとんでもない域に達し最後の一音までその緊張はまったく落ちない。
そうそう!“ザ・グレート”はこうでないと!牙をむいて過酷な運命を食いちぎる野獣のような音楽(オーバーかな)
惰性的な箇所はまったくない(通常どうしても惰性的に聴こえてしまう)
さらに語り口が上手い!
平坦なイメージのこの曲がものすごく濃厚なドラマ性を帯びて全身に迫ってくる。
迫力だけでなく、歌うところはことさらゆっくりと豊かに歌う。リリックに、悲しげに。
シューベルトの曲は歌が命だ。それをここまで聴かせてくる。
他の曲でも思ったが、フルトヴェングラーは語りがじつに上手い指揮者だ。
ピカソが言っていた「作品そのものよりも作った人間の方がよっぽど興味深い」みたいなことを。
こんな演奏をやらかしてしまうフルトヴェングラーという人間はどこまで大きいのだ。
それと、ついでといっては申し訳ないが、エルガーの有名な威風堂々1番でも理想的な演奏に出会った。
ショルティ指揮のロンドン・フィル、70年代初頭の録音。
分厚くしつこくない弦楽器群、颯爽としたテンポ、録音もいいのかな、背筋を伸ばさずにはいられない。
これもおれにとっての決定盤となった。