■たまにはこういう映画を観るのもいい。
いかにもご都合主義のハリウッドB級サスペンス映画。
中途半端なカーアクション(まるでこの手の映画にはカーアクションを必ず入れなければならない契約でもあるのか)。
銃撃シーンはお馴染みでイージー。
なんでフツーの奥さんがそんなに冷静かつ恰好よく人を撃てるんだ?
しかも撃たれる男は作品中最も恐れられている黒幕。そやつ、いとも簡単に殺され、夫婦仲良く助かりハッピーエンド。ノープロブレム。おしまい。じゃんじゃん。
もっとうまくやればおもしろく出来そうなのに、大衆にウケそうな安易な選択をしている。
もったいない。
そんな映画でもいくつかのシーンは心に残る。
一般的なアメリカ人って財布とかもたないのかね?
主人公(ニコラス・ケイジ)がモノを買うとき、ジーンズのポケットから無造作に札を取りだすシーンが何度かある。
しかもその札が皺くちゃで、ひょいってテーブルにおく。
あのテキトーさ加減はいいな。
おれも出来るだけ不携帯を目指す野郎だから、やってみようかな。
財布ももたず、ぜんぶ必要なものはポケットに突っこむ。
うん、おもしろそうだ。
そのまま飲み屋に行って、店のあんちゃんに「おーい、〆てくれ」って言った後にポケットをがさごそやって皺くちゃの千円札を数枚、ポイって出すの。
いいね。
まあ、でもこれは貨幣が違うからできるんだろうな。
1ドル(日本円で80円くらいか?)が硬貨じゃなくて札だからね。
お札金融社会だからあれができる。
日本だったらジャリ銭だらけでポケットが重くなり、様にならないかもしれない。
さて、話は変わって。
目の前から、学校帰りの子どもたちがダッシュで近づいてくる。
まだ一年生かな、ちょこまかと小さく、黄色い帽子がぴょんぴょんと跳ねている。
そのとたん、一人の男の子がすっころんだ。
また派手にやらかしてこりゃ泣くなと見ていたが、気丈にも泣かない。
強い子だ。
一緒にいた女の子たちが大きな声で「だいじょうぶ?!」と声をかける。
そのすぐ腋を3人の大人がとおりすぎていたが、誰も声をかけようとしない。
すぐ傍に痛がりうずくまっている子どもがいるのに、ほとんど無視、何も見なかったかのような振舞い。
やれやれ、ニッポンの風景だね。
おれはその子のそばに来ると声をかけた「だいじょうぶか?血ぃでてないか?」
おれを見上げるその子の表情はほとんど変わらない。なにも言わない。
その目に気圧された恰好で、それ以上の関わりは持てなかった。
歩きだし、気になって後ろを振りかえると、男の子は元気に走り出していた。
親や学校から知らない人と話してはダメだよ、と教えられているのか、とよぎった。
そうだ、学校で確かに教えている。
うちの子どもが持ち帰ってくる小学校からの手紙にも書いてあった。
「知らない人には近づかないように」みたいな文面。
犯罪から守るにはそうすることは正しいのかもしれない。
街にあふれる監視カメラのおかげで犯人が検挙される事例は多い。
しかしその反面の作用だってあることを忘れてはならない。
これで人間が信じられるのだろうか。
よく知っている人じゃないと心許せる存在として成り立たなくならないか。
いや、むしろ心許せる人間なんてその子にできるのだろうか。
その一方で“コミュニケーションを大切にしましょう”なんて叫んでいる。
いったい、どっちが言いたいのだ。