イメージ 1
■有名なグラモフォンによる1960年の録音は、おれにとってもチャイコフスキーの決定的演奏として長い間ゆるがない。
 
でも、この前聴いた同指揮者による80年代のライヴによる“悲愴”は、それを上回る衝撃的な演奏であった。
 
特に3楽章のマーチの迫力は尋常ではない。
 
軽快なマーチといった生易しい雰囲気ではなく、聞き手を恐喝するかのような挑戦的な切れ味をみせる。
 
60年のそれと比較してもまるで違う解釈におどろく。
 
 
このころのムラヴィンスキーは映像でみると、あまり動かず最小限の指揮しかできない身体の状態のようだ。
 
その小さな動きから(眼光は鋭いが!)あの音楽をつくりあげてしまうところが、にわかに信じられない。すごすぎる。
 
終楽章は強音ではじまるかとおもったら、ふわっとした弱音ではじまる。
 
そうか、こういう悲しみの入り方でもいいんだな、と納得する。
 
フルトヴェングラーを聴いていてもおもうけど、こういう演奏は今ではもう存在しえない音楽だ。
 
自由でなにものにもとらわれない。
いきいきと脈打って聴き手に迫ってくる音楽。
深い感動による衝撃のためしばらく動くことができない迫真の演奏。
 
この手の演奏を実演で一度だけ経験したことがあるといえば、アーノンクールとウィーン・フィルによるベートーヴェンの“第7”(ミューザ川崎)だけだ。